シルクロード4000キロを踏破した男 阿保柳 ぜんた 61歳(現在74歳) 男性

 私はこの「シルクロード」に足を踏み入れるまでは、大きな誤解をしていた。と、いうか認識不足であった。それは、「シルクロード」とは1本の道が長安から、遠くローマへ通じている路だと、ばかり思っていたのだ。それに、中国からはただ、絹だけが西へ運ばれた道であったのだ、と。そんな知識しか持っていなかったことに対し自分の無知さを痛感した。

 また、東端が日本である。と、いうことを知った時は驚いた。それは、こんな昔からの出来事に係わっていたのかと思うと少々嬉しさも込上げた。同時に昔の人は偉かったと、敬意を感じたのである。そんな古き時代に、もうすでに海外を目指して活動していた人達がいた。と、いうことであるからである。
そんな「シルクロード」に魅せられたのは、1980年4月から1年間放映された「NHK特集」による。

 12回シリーズで放映された、日中共同制作の「シルクロード 之路」を観たのが始まりである。語りは俳優の石坂浩二で音楽が喜多郎であった。そのTV画面で砂漠の砂が風に吹かれ、サラサラっという感じで舞って飛んでいく様子を映し出していたのである。その光景に、なんとも云えない神秘さがあって、私の心に突き刺さったのであった。また、音楽が喜多郎のシンセサイザーであり、音色とリズムが、この砂漠の光景にピタリとマッチングして、何とも云えない感動を覚えたのである。それにより砂漠という処に好奇心が湧いて来たのであった。したがって、このとき以来「シルクロード」へ浪漫を感じ、何時か絶対行ってみたいという願望が芽生えていたのです。

 だが、まだその時は海外旅行なんて、夢のまた夢であったから、何時どうするかまでは想像すら出来ない時期であった。したがって、それは、何時か必ずという漠然とした物にすぎなかったのである。それが、歳を取るにしたがいランニングが趣味となってきて、ある大会へ参加した後にT山さんへ電話したことから始まった。用件が済んだ後で「シルクロードへ一緒に行かないか?」と誘われたのである。その言葉を聞いてどうしても本当の「シルクロード」を走ってみたいという、強い衝動にかられるのであった。

 なんとも不思議なことに強く思っていると、運と云うのか縁と云うのか分らないのだが、そういうものが自然と向いてくるのであるから、今考えると一層不思議でならないのである。

 しかし、思っているだけでは事は進まないのだが、実際こういった大それたことを計画し、実行する人がいたということが、また驚きで衝撃的であった。実際こういった人達と行動を共にしていると、いかにも簡単に事が運んで行くのであるから、また凄いのである。それだけ、周到に練って計画しているのではあるだろうが。

 この踏査は2007年から現地踏査を実行されてきたのであるが、計画はそれ以前から動き出していたであろう。隊長である本人の思いは40年間思い続けてきたと云う。そして、2011年に無事、事故もなく完結出来たことに、私も2008年から仲間に加えてもらい、自分の夢を実現出来たから、こんな嬉しい夢物語はない。

 だから、その時々の感動や喜びを忘れないうちに将来に残し、また何時か年老いた時に想い出を引き出してみたい。と、思い文字として残しておきたいと思ったのである。したがって、こうして自作自演の著書に纏めてみたのである。時が経ってようやく当時を振り返りながら書いたものなどである。したがって、その時々の気分や想いで綴った文章表現になっている。また、色々な書き方にもなってしまった。だから、読み手にとって、読みにくくなったであろう。また、理解し難い形態になったのではと懸念している。しかし、自分の世界に入り、当時を懐かしく思い出しながら書いていると、また行ってみたくなってくるのでもあった。そして、当時出合った人達にも哀愁が湧き、もう一度逢いたいと思いながら綴った文章である。毎度のことで恐縮しますが、例により誤字脱字はてんこもり(超山盛り)で、読む方の脳活でも有るが故に心して頂きたい。また、それは嫌だという方は、例によって大きな声を出して、著者の名のごときと笑って頂くことも著者の大本望である。云い訳じみた御託を並べたが、決して腹を立てぬようお願いしたい。

Q1:マラソンを始めた訳は
 48歳の時健康診断で血糖値が高くて引っ掛かりましたので医者のアドバイスで歩き始めました。雪国ですから冬は歩けないことも多いしとても危険でした。同じ時間を使うなら走った方がいいのではと思ったのがきっかけです。更に冬でも室内のジムは走れるので。その後ハーフマラソンからフルマラソンへと距離を伸ばしていきました。51歳の時マラソン好きが高じて100キロを超える富士五胡チャレンジマラソン117キロにも出るようになっていました。

Q2:なぜシルクロードへ
 冒頭でふれたように「念ずれば花開く」ですね。NHK特集から始まり、48歳で走り始めて、ひょんなことから知人の電話でこの計画に誘われた。すべてが運ではないでしょうか。

Q4:どんなルートでしょうか
全踏査状況                      太字は著者参加踏査隊
1次隊 2007年 9月15日 24日 自転車10日間 中国 617㌔
2次隊 2007年11月16日~25日 自転車10日間 中国 413㌔
3次隊 2008年 4月19日~29日 自転車11日間 中国 530㌔
4次隊 2008年 4月25日~ 5月 5日 自転車11日間 中国 355㌔
5次隊 2008年 9月27日~10月 5日 バイク 9日間 中国1,261㌔

6次隊 2008年10月 4日~20日 自転車12日間 中国 475㌔
7次隊 2008年10月11日~21日 ラン 11日間 中国 439.8㌔
8次隊 2009年 9月23日~30日 ラン8日間 ウズベキスタン 274.7㌔
9次隊 2009年 9月29日~10月 9日 自転車11日間 
ウズベキスタン・キルギス  760.9㌔
10次隊 2010年 4月30日~ 5月11日 自転車12日間 中国 560㌔
11次隊 2010年 4月30日~ 5月11日 ラン・自転車12日間 
キルギス・中国 515㌔ 
12次隊 2010年 9月 6日~10月19日 登山・自転車・マラソン 44日間 ウズベキスタン・トルクメニスタン・イラン・トルコ3,076+42,1㌔(631.8㌔)
 後発隊踏査距離 631.8㌔ 
13次隊 2011年 4月19日~ 5月3日自転車13日間 トルコ 1,012㌔
14次隊 2011年 7月 8日~ 20日 アララト山登山13日間 トルコ 
標高5,137㍍
15次隊 2011年 7月10日~ 20日 ラン・自転車・水泳・マラソン 
トルコ 416.8㌔

総踏査行程   6ヵ国207日 10,748.3㌔(うち著者は約4,000キロ踏破)

Q5:今回が人生はじめての海外旅行だったそうですね
 60歳になっても海外旅行が未経験なので不安もありました。6月上旬に話しが持ち上がり、仲間に入れて貰ったが、メンバーの顔も分らない。それに、タクラマカン砂漠っていったい全体どんな処か、何処にあるのか。また、気候もまったく分らず、色々調べてみたが、あまり情報がなく不安が募るばかりでした。だが、どうにもならない。ただ、嬉しいばかり。とにかく体調を崩ささないようにして、体力の向上に努めることにした。
いよいよ中国へ向う。初の出国であり、国際空港の広さにビックリしたり、チケットの見方も分らないので教えてもらったりしました。機内預かりの荷物は20㌔以内に制限されていて、それ以下になるように頑張ったが、なかなかパッキングは難しかった。何が必要で何が不要か分らず、みんな持って行きたくなって苦労する。酒類は重くなるし、リュックに入らないので諦め、人の酒を御馳走になることにした。これにかぎるネェ~。

Q6:一番印象に残った国は
 ウズベキスタンとトルコです。ウズベキスタンの人達は日本人的性格で、内向性で大人しい性格であった。トルコは、ほぼ国を縦断させて貰い、トルコを知り尽くしたような気持ちとなった(錯覚であるが)。それと、何と云ってもアイシャさんという才女のおもてなしだろうか。
そして、中国の一部を除く殆どの地域がイスラム圏であって、我々仏教国とはまた違う作法で、興味をそそわれた。ムスリムは同じイスラーム教徒でも、イスラム国やアルカイダ、タリバーンなどの人達とは違い礼儀正しく、温厚的で親切で、とても親しみやすさを感ずる人達であった。だから、早くみんな元の気持ちを取り戻して、仲良く暮せるイスラムの世界を築いて欲しいと想うのである。それは誰もが安心して旅に出られることでもある。

Q7:今回の踏破で特別な出来事は
 トルコのボスボラス海峡には大きな吊橋が2橋掛かっている。だが、この橋は通常車でしか渡れないのである。しかし、年1回だけ人が渡れる日がある。ユーラシアマラソンの日で、この橋がマラソンコースに組み込まれているのです。ボスボラス大橋ののアジア側がスタート地点となっており、アジアからヨーロッパへと2大陸を走破するという壮大な謳い文句のマラソンなのです(チョトオーバーかな?)。このマラソンに参加して、このボスボラス海峡を渡っておこうという踏査の一部分の計画なのである。そして海外でもあることから何かアピールをしよう。ということでを着て、を被ってこの駕籠を担いで走ることになったのである。今で云う「クールジャパン」の一環なのである。

ボスボラス大橋をバックに、向こう側はアジアである
山登りもなんのその軽快に登って行く

そしてもう一つが同じくトルコのボスボラス海峡を泳いで渡る挑戦をしたこと。
 あれは、確か2010年の春だったと思う。隊長が私を名指しで、海峡を泳がないかと仕掛けてきた。その時は不意であり、頭に浮かんだのは、その海峡の幅と海流があるのかないのか、が頭の中に浮かんだ。幅を確認したら誰かが地図上に定規を当て650㍍と答えた。海流については回答がなかった。まあ650㍍だったら海流に流されても3倍の1.9㌔~2.0㌔も泳げば十分だろうと軽く考え、1人で泳ぐのは小心者としてはチョット心細いので、誰かボートで伴奏してくれればと了承した。

時が経つにつれ段々全容が分かってきた時には、後へ引けない状況と気持ちになってしまっていた。またしても隊長にやられてしまった感じだ。こういう風に断れないように上手くもっていくのが憎らしいオヤジなんだ。結果は本文を読んでのお楽しみ(笑)

Q8:今回の踏破で得てことは
 2008年6月隊に加わり、終了したのが2011年7月である。N村隊長以下参加隊員の皆様には大変お世話になりました。私の人生感が変わり、これからの残りの人生を大きく変えて貰った出来事となった事は云うまでもありません。したがって、今持っている「夢」も大きく膨らませることが出来るようになってきたのです。だから、自分に期待しているのです。

トプカプ宮殿への最終ゴール。これでシルクロード踏査も終了

Q9:シルクロードの後は
 2012年徒歩による本土縦断完歩。2013年世界で一番過酷と言われるサハラマラソンを完走。翌年自転車で日本を一周。もちろん一筆書きのように沖縄の与那国島から小笠原諸島まで隅々まで回る。2016年四国のお遍路に出る。正式な作法で自宅のある新潟県から四国まで歩きその後お遍路の旅。もちろん帰りも新潟まで歩く。

Q10:これからの夢は
 自転車で行くなら台湾一周とニュージーランド一周がしたい。どちらも一周2,000キロ程度。
そして長年の夢、サンチャゴ巡礼を歩きたいですね。同じ歩くならフランス南東部から始まる「ル・ピュイの道」から「フランス人の道」を歩いた後、更にポルトガルの道をと思っています。途中でいろいろ寄り道をすると思うので全長3,000キロぐらいになるでしょう。現在コロナ禍で長い間ステーホームしてると気力、体力が萎えることもある。いかに自分のモチベーションを保つかが今の課題です。しかしどんな環境でも夢は持ち続けたいと思っています。

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