世界冒険社の紹介と運営者のプロフィール

(世界一周時チケット・パンフレット)

1.「世界冒険者」について
2.運営者のプロフィール
3.世界冒険社設立について
4.タイアップ&広告などについて
5.お問い合わせフォーム

このサイト「世界冒険者」について

「世界冒険者」サイトをご利用いただきありがとうございます。

このサイトは定年後ひとりで世界一周したセカイおじさんことSunagawa Hiroaki が運営しています。

旅の途中、何度もピンチを招きましたが、その度に誰か彼かが助けてくれて無事に世界一周が出来ました。
コロナ禍で世界一周をしていた人たちは中断を余儀なくされて、新たな旅立ちもなかなか出来ない状況が続いています。
世界一周でお世話になった人への恩返しの意も込めて、これから旅立ちを考えている人たちを応援する世界の旅の情報サイトと作りました。

世界一周しているときに役立ったのは、世界一周した旅人が書き残してくれたブログや時々刻々掲載される世界一周中の人の記事でした。
たくさんの情報と勇気をもらいました。そんな旅人の情報が満載のポータルサイトに育てていきます。

運営者プロフィール

(大学2年トレビの泉にて)

プロフィール
砂川博昭(すながわ ひろあき)
1953年 生まれ
1974年 大学2年ユーレイルパスでヨーロッパ一周
1976年 グレイハンドバスで北米一周
1977年 保険会社に入社。執行役員など歴任
2013年 定年退職
2013年4月 世界一過酷と言われるサハラマラソンに挑戦、完走
2015年4月から世界一周の旅にひとりで出発、2016年3月帰国
2015年 世界冒険社設立。帰国後講演会活動などを行う。
2021年末 現在70ヵ国訪問
タンザニア孤児支援の会事務局。
FP1級、養神館合気道2段。
佐倉市消防団所属。

(サハラマラソン完走)

世界冒険社設立 理念

【創業】

1995年定年退職したのち、長年の夢であった世界一周の旅に出発。
自分の夢を実現するとともに、数多くの人に同じ夢を実現して欲しいという気持ちを込めて、屋号「世界冒険社」を創業。

【第二の創業】

コロナ禍で世界一周をしていた人たちのほとんどは中断を余儀なくされ、新たな旅立ちも出来ない状況が続いている。
それに加えて世界中の宿、特に日本人宿は廃業または休業を強いられ、お世話になった世界中の友人や街も大変な状況にある。
こんな時だからこそ世界一周をさせていただいた恩返しが出来ないかと思い、もう一度大勢の人が世界一周に旅立てるよう第二の創業としてポータルサイト「世界冒険者」を立ち上げることにした。

【事業理念】

1.「世界冒険社」は冒険の旅へ一歩踏み出す勇気を与えます
2.「世界冒険社」は旅の楽しさを通じて豊かな人生を目指します
3.「世界冒険社」は世界を知り、違いを知ることで社会に貢献します

【キャッチフレーズ】

「世界へ飛び出そう」

【事業内容】

1.体験者の情報サイトの運営
  ・「私の世界一周記念日」認定を通じて体験記、ノウハウを共有するポータルサイトを運営して世界一周情報を発信する
  ・6月21日、9月8日世界一周記念日に世界一周大賞を募集し新たな旅への促進を図る

2.冒険の旅を中心にしたコミュニティを作る
  ・講演会・交流会・セミナーなどイベントの開催

3.新たなる旅立ちを応援する
  ・「私、世界一周へ出発します」を通じて沢山の人を世界へ送り出します

世界一周同様に世界の砂漠マラソンへの挑戦も応援します

4.世界冒険図書館
  世界一周した人、冒険旅行をした人、お勧めスポット、そして砂漠マラソンの体験記、著書・資料などを収集した図書館

5.ボランティアによる運営
  営利主義を排して、志を同じくしたボランティア仲間による運営

                                     以上

世界冒険社の活動にご協力いただける方募集中

世界冒険社は営利を目的とはしていません。
従って運営はすべてボランティアです。
収益があった場合は年に一回決算状況を公開します。

世界冒険社の設立趣旨に賛同いただいてお手伝いいただける方を募集しています。
・運営・企画
・HPの運営
・イベントの企画・運営
・その他なんでも

HPのお問い合わせからお申し出ください。

タイアップ、広告について

タイアップならびに広告掲載希望はお問い合わせフォームよりお願いします。

ツアー記事は「バルカン半島5ヵ国」

YouTube  https://youtu.be/zsGCeMscsNw

資料

世界一周の軌跡

2015年4月1日62歳で世界一周の旅にひとりで出発。219日間28か国を訪問。
基本地点にはワンワールド世界一周航空券使用。
基本地点からの移動、宿は旅の途中ネットで予約。
エベレスト、インド、スリランカ、アフリカトラック旅オーバーランドツアー、キリマンジャロ、中東、ヨーロッパ、一時帰国、再開後キューバ、南米、南極等を回る。
宿泊は飛行機9泊、バス6泊、ドミトリー56泊、ホテル68泊、テント、野宿、ハンモック59泊、友人宅4泊、船13泊、他4泊。移動手段、飛行機41回、長距離バス30回、船3回、鉄道4回(アフリカオーバーランドツアーはバス1回とカウント)。
現在訪問国数は70ヵ国。
2022年6月著書「定年だ!世界一周ひとり旅」をkindleにて発売。

世界一周記念日

9月8日
由来
世界で初めて世界一周航海に出航したポルトガル人マゼラン(フェルナンド・デ・マガリャンイス)のビクトリア号が、世界一周を完遂してスペインに帰ってきた、1522年9月8日にちなんで制定。
(マゼランは航海中の1521年4月27日戦死)

6月21日
由来
ジャーナリストで東京朝日新聞記者だった杉村が企画して、東京朝日新聞社が主催した「世界一周会」の一行が敦賀港に帰国した明治41年(1908年)6月21日にちなんで制定。
「朝日世界一周会」と名付けられて一般から参加者を募った日本初の海外パックツアー。
1908年3月18日に横浜港を出港。
米国を鉄道で横断し、さらに汽船で大西洋を渡った後、英国、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアなどを通って6月21日敦賀港に帰国した。
当初90日間の予定だったが、欧州に入ってからイタリアを追加したため96日間になったという。
英国の旅行会社トーマスクックがプランを練って随行員を付けた。
 費用は一人2340円で、現在の価値で1千万円ほど。
定員は50人に80人の申し込みがあり、最終的に54人が参加した。銀行や株式仲買、繊維業など実業家が多く、野村證券の創業者の野村徳七も含まれていた。女性は3人だけだった。地域別では大阪が20人で東京の15人より多く、神戸や京都なども含めた関西が過半数を占めたという。
 一行は、ナイアガラの滝やエッフェル塔、ピサの斜塔などを観光するだけでなく、銀行や証券取引所、大学、水力発電所などにも足を運んで見識を広めた。
 英国の新聞には「記録上最大の世界一周観光団」と書かれ、各地で歓迎を受けた。ワシントンではセオドア・ルーズベルト大統領がホワイトハウスに招き、参加者1人ひとりと握手を交わしたという。
 この旅行について杉村楚人冠が書いた記事をまとめた本「世界一周画報」ある。
 (朝日新聞記事より転載)

「世界一周の日」
6月21日を「世界一周の日」として一般社団法人日本記念日協会に登録済。

「世界一周の日」「世界一周記念日」
2021年商標登録済。

講演会実績

千葉県生涯大学校、千葉県生涯大学校卒業生学習会、流通経済大学、淑徳大学、明治大学、山口県光市、千葉滋賀県人会、タンザニア孤児支援の会、養神館合気道龍 他

テレビ

NHK BS 「熱中夜話」 テーマ「一人旅」に出演

2023年サハラマラソン二度目の挑戦に向けて訓練中。

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