世界一周記念日

世界一周の定義

 例えば航空会社が発行する「世界一周航空券」における「世界一周」の定義は、「太平洋と大西洋を各々1回のみ渡り、基本的に東か西の一方向に逆回りせず進んで出発地に戻る」となっていますが、現在「世界一周」の定義は確定していません。

わたしの世界一周記念日

世界冒険社では世界一周を達成した日を「わたしの世界一周記念日」として登録することができます。毎年記念月にお祝いメールを差し上げます。日常の忙しい生活の中でも世界一周したあの日を思い出して生活の活力にしていただければと思っています。

登録は世界一周体験記に記入された達成日です。

世界一周記念日について

世界一周記念日

9月6日

由来
世界で初めて世界一周航海に出航したポルトガル人マゼラン(フェルナンド・デ・マガリャンイス)のビクトリア号が世界一周を完遂してスペインに帰ってきた1522年9月6日にちなんで制定。
(マゼランは航海中の1521年4月27日戦死)

世界一周記念日・日本

6月21日

由来
ジャーナリストで東京朝日新聞記者だった杉村楚人冠が企画して東京朝日新聞社が主催した「世界一周会」の一行が敦賀港に帰国した明治41年(1908年)6月21日にちなんで制定。
「朝日世界一周会」と名付けられて一般から参加者を募った日本初の海外パックツアー。1908年3月18日に横浜港を出港。米国を鉄道で横断し、さらに汽船で大西洋を渡った後、英国、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアなどを通って6月21日敦賀港に帰国した。当初90日間の予定だったが、欧州に入ってからイタリアを追加したため96日間になったという。英国の旅行会社トーマスクックがプランを練って随行員を付けた。
 費用は一人2340円で、現在の価値で1千万円ほど。定員は50人に80人の申し込みがあり、最終的に54人が参加した。銀行や株式仲買、繊維業など実業家が多く、野村證券の創業者の野村徳七も含まれていた。女性は3人だけだった。地域別では大阪が20人で東京の15人より多く、神戸や京都なども含めた関西が過半数を占めたという。
 一行は、ナイアガラの滝やエッフェル塔、ピサの斜塔などを観光するだけでなく、銀行や証券取引所、大学、水力発電所などにも足を運んで見識を広めた。
 英国の新聞には「記録上最大の世界一周観光団」と書かれ、各地で歓迎を受けた。ワシントンではセオドア・ルーズベルト大統領がホワイトハウスに招き、参加者1人ひとりと握手を交わしたという。
 この旅行について杉村楚人冠が書いた記事をまとめた本「世界一周画報」ある。
 (朝日新聞記事より転載)

3月6日

由来
1967年(昭和42年)3月6日に日本航空による世界一周線の営業が始まったことを記念としてルートは東京→香港→バンコク→ニューデリー→テヘラン→カイロ→ローマ→フランクフルトまたはパリ→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコ→ホノルル→東京という路線で運航していました。

「世界一周の日」
6月21日を「世界一周の日」として一般社団法人日本記念日協会に登録済。

「世界一周の日」「世界一周記念日」 2021年商標登録済。

以上

世界一周記念日一覧

2018.12.18 ひろしさん
2016.1.22 PAPASさん
PAGE TOP