「もういいかい まあだだよ」小椋 佳 双葉社刊

銀行員(現みずほ)とシンガーソングライターという二足のわらじを履いた(本人は二足の草鞋を履いた覚えはない、と言ってますが)小椋佳最新刊「もういいかい まあだだよ」双葉社刊からです。

・「自分探しより自分創り」。小椋佳の好きな言葉を掲載しました。
・「『小椋佳』ができるまで」。寺山修司との出会いが小椋佳を世に出した。
・「シクラメンのかほり秘話」。もともとB面だった曲がレコード大賞を獲った。
・「音楽の力」。小椋氏次男の奇跡的な回復は音楽の力。

こぼれ話。
○60歳の時だったでしょうか。ある日、文化庁から連絡が来てね。
「今年度の紫綬褒章に、あなたが選ばれました」と言うんです。
僕、即座にお断りしました。銀行員時代の見苦しい光景がよみがえってね。
頭取までやった方ってね。最後、勲章欲しさにいろいろな工作をするんですよ。
また、頭取をヨイショする取り巻き連中がみっともないんだなあ。
頭取の任期の終わりが近づくと、文部省、今の文部科学省に様々な働きかけするんですよ。バッカだなあと思いましたね。家内が僕のことを認めているのは、紫綬褒章を断ったのも大きいです。
「あなたは、若いころから言ってきた通りに決断した」と。
 
○銀行退職後、母校である東大に入り直し、ギリシャ旅行をしましたが若い日、東大の卒業式で、学長の訓話に「太った豚より、瘦せたソクラテスになれ」なんて言葉がありましたけど、アテネの美術館に飾られていたソクラテスの彫像はとてつもなくデブでした。(笑)
 
○50年間競馬をやっていますし、馬主歴も40年ですがお金捨てているだけですね。(笑)
 
〇投資銀行でみっちり学び、夏にはニュージャージーに一軒家を借り日本から家族を呼び寄せ水入らずの暮らしを楽しみました。貸し主はどこかの大学教授だったのですが、「留守の間に熱帯魚の世話を頼む」
と言われて。でも、ちょっと油断したすきに水槽内でタニシが大増殖。もう、ガラスが見えなくなるぐらい真っ黒なんですよ、タニシで。幸い熱帯魚は無事でしたが、こっちは生きた心地がしませんでした。
慌てたね。その時に創った歌が「めまい」です。

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