出場大会 | サハラマラソン |
開催年月 | 2013年4月 |
第 回 | 第28回 |
総距離 | 223.8キロ |
タイム | 46時間8分31秒 |
出場時年齢 | 65歳 |
総合順位 | 652位/完走者970名(出場者1,198名) |
サハラマラソン参戦記 阿保柳 ぜんた
最初に
このサハラマラソンは「世界4大砂漠マラソン(サハラレース(以前エジプト現在は南アフリカ北部ナミビア共和国)、ゴビマーチ(中国からモンゴルへ)、アタカマロッシング(南米チリ)、南極マラソン)」と云われる中には、なぜか含まれていない。しかし、砂漠マラソンの草分けで1986年に第一回が行われ、今回(2013年)で28回目を迎える歴史ある大会なのに。その他にも砂漠マラソンは数々あるようだが、砂漠でない南極が含まれているのは「何故、どうして、ナンデヤ」と疑問が募るばかりであった。
こんな謎解きがレース前から始まったが、なかなか解けずにイライラや悶々とした日々を重ねていた。ある時、ネット情報を観ていて「世界4大砂漠マラソン」と言われている大会の主催者が同じ「レーシングザプラネット」であることに気付いた。
だとすればなんてことはない、早い者勝ちで先に「世界4大・・・・・」はこれとこれ、というふうに主催大会の中から選び、ランナー募集要項などに謳いアピールしたのではないか。ランナーとて、同じ金を使うならそういったネームバリューが付いた大会の方に参加したくなるというものだ。
ということで、自分なりに答を出し納得した。言うなれば単なる自己満足というだけ。
当時は、まだそんなに「世界4大砂漠・・・・・」なんてものは、もてはやされてはいなく、とにかく砂漠を走ってみたい一心で、名が知れ渡っていたのがこの「サハラマラソン」だった。
募集要項には「世界一広いサハラ砂漠」を舞台に「世界一過酷」という謳い文句で、ランナーの心を揺さぶっていた。そんな過酷なレースならヨボジイには無理と諦めてもいた。
それが、時が経つうちに、ヨボジイの因業さが頭を持ち上げてきたのであった。面白そうじゃねぇ~か、どんな過酷度なのか試してやろうじゃないか。いくら何でも命までは取られまい、ダメもと、だ。
そんな過酷レースに自分の体力がどこまで通用するのだろうか。と、好奇心に火が点いてしまい、まんまと主催者のツボにハマったというわけです。でも、好奇心を持つということが大事で、それが夢となって行動が伴い実行へと進む。そして、夢が実現へと変わり快感が得られ、人生に生きがいを感じると思うのです。
おい等の場合、参加を決意してから7年、温めてきた夢がようやく実現できた喜びはひとしおのものとなった。
北アフリカのモロッコなどという日本からみれば地の果て、とでも言えるような遠い国に、自分が行くとなると、参加前から色々な想像に胸を躍らせ、それだけでも堪能する事が出来たと思う。
数少ない資料やネットでのわずかな情報で、あれやこれやと想像していたのだが、現地へ行ってみれば「百聞は一見に如かず」で、日本にはない光景と環境に驚く。これがグローバルというものなのだろうかと。それに、やはり地球は大きいと改めて感じもしました。
そしてパリに着いた2日後、フランスからの参加者とチャーター便でモロッコのワルザザードに入り、そこから、大会専用バスに6時間余り揺られ、どこか分からない砂漠の中に着く。そこがどこなのか看板や標識は皆無だから分かるはずもない。当然のことです。
ただ、大会のスタート地点であるB(ビバーク=野営)1地であろうと勘ぐることはできた。大小多くのテントが多数設営されている。あと周りは砂地と砂丘のような小山が見えるだけ。
いよいよ砂漠の中を走ることができる。と思うと何だか少し心がワクワクしてくるのだった。だが、この後、2項目のチェックをパスできなければオジャン(お終い)になる。まだまだ浮かれてなんぞはいられないと気を引き締め・・・る。
次の日にメデカルチェック(健康診断)にテクニカルチェック(荷物検査)をパスでき、晴れてランナーとして、念願だったこのサハラ砂漠を、走ることができる権利を得ることができたのです。
思えば、色々なことがありましたが、強い参加への思いに引っ張られ、なんとかクリアでき出走できる状況に至った。あとは、砂漠の機嫌を損なわないよう機嫌を取りながら、運にも助太刀してもらい、何が何でも完走できますように、と。
レース1日目 スタート開始
4月7日(日)朝5時過ぎに起床。
いよいよ今からレース終了まで、自給自足生活の始まりだ。もうジタバタしてもどうにもならない。あとはなるようにしかならない。運と神を味方に「いざ! 出陣」じゃあ。
朝6時過ぎにテントを次のB2地へ移動するため、ベルベル人(正確な人種は分かりません)によって撤収が始まった。それまでに食事とパッキングをやっと済ますことができた。
スタート前に日本人参加者、男性23名と女性5名の28名で記念写真を撮ってもらう。日本人はもう1名いるのだが、日本からの申込みではなく、仕事の関係でこの地モロッコにいるらしく、そちらからの申込みで、ゼッケンナンバーも我々とはかけ離れた番号群になっている。だから、テントも我々とは違う。顔も見ていないのでどんな方かは存知得ない。が、若者らしい。だいたい参加メンバーは若者が多いが。おい等のようなヨボジイは殆ど見掛けない。
我等の参加者の中には牛の縫いぐるみを着た者に、職業は歯医者といい、医者の恰好の白衣を着た者、それに合わせた看護師の仮装した者達がいる。とくに牛の縫いぐるみは、着ているだけでも汗だくになりバテルのではと思うのだが。
珍しいから、報道カメラマンや他国の出場選手達にカメラを向けられ最高なパフォーマンスである。でも、見ているだけでも汗が出てくる。「オオーあっちぇー(熱い、暑い)」。
聞けばいつも大会に出るときは、このパフォーマンスで出ているという。これが彼のランユニフォームなのであろう。そう聞けば、何処かの大会で見たような気がしてきた。気のせいかな?
AM8:30にスタート地点へ全員が集合してきた。そこで大会会長がフランス語で演説それを英語に訳しているが、おい等には「馬の耳に念仏」。雰囲気からすると今日のハッピーバスディーの人の名前を呼んでいるようだった。参加者で名前を呼ばれた一人ひとりに拍手をして祝ってやっていた。名前を呼ばれ拍手を貰った本人は多分嬉しかっただろう。
こんなことをして9;00丁度にスタート。ついにこの時がきたのだ。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりした足どりで走る。「今日は体慣らしでいいのだ」と。周りのランナーもそうなのだろう。大抵が歩いたり走ったりしている。
今日は37.2㌔。山だか、丘だかといったようなコースだ。コースは砂を敷き詰めたところにゴツゴツした石が転がっている感じだ。処によっては砂が柔らかく足をとられて走りにくい。また、ランナーが通った跡は同じように砂が掘り返されて、足を取られるので足跡のない処を走るようにする。
今回は障害者なのだろうか、特製の一輪車に、10歳前後と思われる女の子が1人乗って、8人の屈強な男達が、2人1組で順番にサポートして参加しているグループがいる。そういう人達を見ると、負けられないという闘志が出てきて、何としても完走だけは果したいと強く思うのだった。
2㌔程行ったところで60~70㍍ほどの小高い石と砂の丘を登る。当然歩いての登頂だ。遠くで見ると蟻ん子のように1列に並んで登っている。それにこんな丘でも息が切れてくる。もっとも、スタート地点の標高が930㍍と高いのだった。
こういう小高い丘、涸れあがった河原のような処や砂丘を幾つか越え、11.3㌔地点のCP1(チェックポイント1)へ2時間ほどかかり到着した。いつものレースを考えれば非常に時間を要しているが、条件を考えればこんなものかと納得せざるを得ない。とにかく完走オンリー。と、初日でもあるので慎重に進むことだけ考えて行く。
ここで水1.5㍑のペットボトルを1本受取り補給する。このレースではどの位の水を持参して走れば良いのか分らず悩んだ。経験のない気象条件と地形であるから、まったく分からない事ばかりで途方に暮れることしばしであった。現地へきて前回も参加したという人に聞いたら1㍑を持つという。しかしそれで足りるのか心配であった。が、CP間で一番長い区間が13㌔程であるから何とかなるのではと思い、0.7㍑のボトルと空の0.5㍑のペットボトルの2本用意して1㍑チョイを持参している。
調整しながら飲んだからCPに着いた時は丁度空になる寸前であった。貰った1.5㍑を2本のボトルに移し、残りを飲んだ。自重していたこともあり疲れはない、休まずすぐに出発。
風が結構吹いており、そんなに暑さは感じない。でも暑い事は暑いのだ。湿度は5%ほどというから汗がしたたり落ちるということはない。少し額のところを流れる程度で、シャツが濡れるような感じにはならない。それでも汗は出ているのだから蒸発しているのだろう。メデカルチェックの時言われていたので、水と塩タブレットは意識して摂るようにしている。
CP2に向い1人走ってはみるが、回りは皆歩いている。無理をしちゃあいけないと同じように早足で南の方角へ歩き進む。
CP2では3㍑の水が与えられたが、1㍑チョイを持参し残りをガブ飲み、残りの1本は頭から被った。他のランナーの中には蓋を開けずにおいていく者、またそのまま携帯して行く者等がいた。飲料水をいっぱい携帯すれば安心であるが、重いから余分な水は持たない事にする。
CPやゴール地点で、水や食事(レース中は自給。以外は提供される)を貰う時はカードが渡されているので、そこに必ずチェックのパンチが入れられる。必要な水を受取らないと、命に係わるためペナルティーが与えられるルールになっており、時間で30分とか1時間の追加経過とされる。
それにCPやゴール地で水をくれる時はファーストネーム(名前)を呼ぶのだ。「オー〇・☆・※~」と大きな声で呼ぶ。我々日本人は名前で呼び合うことは、幼馴染でもなければないことなので、最初は人見知りの激しいおい等は、恥ずかしく少々の戸惑いと異様さを感じた。これが外国なのだ。そのためにゼッケンには国名、ナンバーと名前が記載されている。
この日ゴールしたのは16時前であった。とにかく1日目なんとかクリアできたことで少しホッとする。
ゴールしてすぐの所に、温かく甘い紅茶サービスがあり、1人1杯のところ旨かったので1杯目の顔をして、2杯もらっちゃった。旨かったヨ。
次のテントへ行き4.5㍑(1.5㍑ボトル3本)の水を受取り、自分のテントへ。もうH氏は寝ている。熟睡中のようだ。やっぱり速い。2時間ほど前にはゴールしたのだろう。ゴソゴソしていたら起きて、携帯用の洗面器を貸してくれた。ボトル1本の水を入れ、まず顔を洗い、次に体を拭いてその後ランニングシャツとパンツを洗い、最後に足を洗うのだと教えてくれたので、その通りにした。
洗濯物は安全ピンでテントに留め干す。風が結構強いので、そうでないと飛んで行ってしまう。
洗濯物は3、40分でもう乾いてしまう。さすが砂漠だ。高温少湿で風があるからだ。洗濯好き人間にはもってこいだろうが、難点は水がないことだ。
残った3㍑で明日の朝まで上手く使わねばならない。食事、飲料、歯磨き、トイレ後の手洗いと節水をしながら使えば余る。
夕食はカップ麺とカロリーメイト、それにドライフルーツで済す。もう少し甘いものが食べたいが持っていないので我慢だ。
まあざっと1日はこんな風に始まり終わる。あとは体力がどの程度残っていて、どこまで回復できるかが勝負であろう。だから、あとはひたすら寝て疲れを残さないよう努めるだけ。
本日の走行程 ・・・・・ 37.2㎞
所用時間 ・・・・・ 6:59:29
レース2日目
4月8日(月)朝4時に起きトイレに行く。トイレといっても小の方は其処らへんに行ってする。さりとて、テントの真前でする訳にもいかないから、テントのない人目につかない処まで移動しなければならない。大は専用テントがあって、専用便器に袋をセットしその中に収納する。それを回収し特殊な焼却炉で燃やす仕組み。これも汚物で砂漠を汚さない知恵で、今回から採用された方法だと。ただし、レース中はこれに非(あら)ず。
用足しが終わりテントに戻ろうとしたが、暗くて方向が分らず迷子になり掛けた。昨日は明かりが点灯していたが今夜は何もなかった。星や月明かりもなくテントの方向が分らなくなり感で歩いたが、とんでもない方向に向かっていた。道具収納テントや医療用テントが見えてきてようやく気が付き見当がついて、自分のテントに戻ることはできたが一時ゾッとした。案内には注意するよう。また、同一テント内の人に行先を告げて出かけるようにと、注意書きはされていた。が、まだ皆さんは熟睡中であり、起こすこともできない。たかがトイレの用足しごときで、と思い声を掛けずにテントを出たのである。だけど、こんな風になるとは、恐ろしい処だ。「桑原、くわばら」だ。
無事にテントに戻りホッとするが、まだ暗いので、またシュラフにひともぐりし、5時30分頃に起き湯を沸かし、アルファ米(湯か水を注ぐだけでごはんができる加工米、まぜごはんなど多種類ある)と味噌汁にコーヒーで朝食とした。6時過ぎには準備を整えテント片付け隊が来る前にテントを出る。
今日も快晴だ。朝7時頃から今日の水の配給が始まった。カードにパンチを受けボトル1本を受取る。
このボトルには必ずゼッケン番号がふられる。それはボトルが不要になったからといってポイ捨てをさせない知恵である。もし、捨てた場合はこのナンバーの持ち主をつきとめ、ペナルティーを科せるのだ。これも砂漠を汚さない一環なのだ。決められた集積場所にしか捨てることができないようにしてある。
出発前にS氏がスタート前の準備運動をしようと、掛け声と共にラジオ体操を始めた。日本ではお馴染みの光景だ。だが、外国人(ここでは我等も外国人だが、日本人以外の人)にとっては珍しい光景なのだろう、カメラマンが何人か集まってきて写真を撮っていた。なかなかいい思いつきと感心する。さすが、グローバル化した人。
日本をアピールするには最良なパフォーマンスだ。これもクールジャパン(日本の魅力発信)の一環になるだろう。
8時にスタート地点へ集合が掛かっているので、ザックを背負い集合場所へ。例によって会長が車の上から何やら・・・・・ 例の如くおい等にはサッパリ分りましぇん。分るのはハッピィーバースディ―の時だけです。
20分程の話のあと8:35に号砲。
1日目をクリアでき、何とかなるという気持ちになっていたが、もう1つ問題がある。それはゲーター(ゲイターともスパッツとも言う)だ。
これは、シューズの中に砂が入り込むのを防ぐために、シューズの上から足首の上まで被せる布製の物だ。まぁ~、冬期に使用する物と同じような物だが、相手が砂か雪かの違いで材質が違うのと使用する靴も違うから、それに留める方法が異なる。
相手が砂となると冬期に使用する物のように靴にチョイ掛けでは対応不可で、しっかり縫い付けるなどしておかないと目的が達せられない。それが、初心者のおい等には分からなかったので、両面テープでチョイ留め(マニュアル通り)で実施していた。
それが、昨日のCP1で、シューズから剥がれてしまって砂が入り放題になっていた。だから、朝テープでグルグル巻にしたのだが、1時間程走ったらやっぱり剥がれてきた。だいたいテープ自体が弱いからすぐにイカレテしまう。フランスで購入した物だが、やっぱり日本製とは違う。
スタートし、やや登りを走り、小さな砂丘を越え、石が転がっている涸れた河原のような処を抜け、小さな山の登り口に差しかかった。山といっても200㍍位の高さだろうか、高さはハッキリしないが、そこを登り頂上から尾根伝いに進み、暫く行って下った。そこから直線で6㌔ほど行ってCP1である。スタートから12㌔地点。3時間余の所要での到着。こりゃ~、平地での走行より断然遅い。そう考えると先は難儀なこった。水3㍑を受け取り出発。
暫く行くとまた山、急で石と砂でなかなか登りづらい。前のランナーは疲れているのだろうか、フラついて倒れてきそうだ。健常者でもこんなに大変なのに、あの障害者は? どうやって登るのだろうか、と少々気になるが、人のことなど気にしている場合ではない。おい等だってこの先どうなるか分らない身なのだ。
ここから尾根伝いに大分進む。風が強くバランスを崩しそうになったり、帽子が飛ばされそうになったりで注意しながらゆっくり走る。まぁ~、そうは言っても歩くより遅いかも。本人が走っている気持ちだけなのかもネ。
山を下ると平坦でランナーが1列となって繋がっている。当然先頭は見えないが、もう次の次の山を越えているのだろう。マップではこの先にCP2があるようになっている。しかし、目印の幟(のぼり)はまだ見えない。陽も暑くなってきているし、皆も歩いているので無理をせずに歩きとおす。
1時間ほど行ったところにCP2があった。13:26到着。水を受取りすぐに出発。まもなく、また山登りだ。この岩山を登り始めてじきに、岩に寄り掛かって点滴を受けている者がいた。隣に医師が付き添っている。それにしても選手は意外と元気そうにニコニコしている。点滴を打って元気になったのだろうか、これでリタイヤなのか続行出来るのかは医師の判断なのか、文句なしの退場なのかどうなるのかは知る由もない。白状のようだが、気にもしていられない。前へ前へだ。
それにしても、急な岩山で疲れているとフラフラして危険である。が、医師はよくぞ登ったもんだと感心していたが、山の上へ上がったらドクターヘリが待機していた。ここで降りて下ったのだろう。傍にいた操縦士にシャッターを、お願いしておい等は記念写真とシャレ込んだ。
ここから1時間ほどで。今日の行程は30.7㎞、15:25のゴールであった。
本日の走行程 ・・・・・ 30.7㌔(67.9㌔)
所要時間 ・・・・・ 6:42:55
レース3日目
4月9日(火)5:15起床。天気は曇り。太陽が照りつけるよりはいいのかな。雨は降って欲しくない。
ゲーターのチャックが締まらない。足首のところをファスナーで締めるようになっているのだが、砂が細かいのでファスナーの目に砂が入り込み動かない。水で洗い流して、また元のように動くようになりホッとする。
昨日と同じく湯を沸かしアルファ米(赤飯)と乾燥納豆に味噌汁、コーヒーで朝食。6時のテント片付けに備える。そして、クールジャパンのラジオ体操で準備万端。疲れもなく体調も問題なし「絶好調」といえるだろう。
この分で行けば完走は何とかなりそうな気持ちになってきた。だが先は未知、まったく読めない。明日のノンステップステージをクリア出来るかどうかだ。とにかく、順位とタイムはどうでもいい。なんとしても「完走・完走そして完走」なのだ。もしも、来年リベンジともなれば、参加費の工面が大変だ。とばかりに貧乏性も頭を持ち上げている。
スタートして暫く行くと砂ではなく、土のような硬い平坦な処に出た。そこには草が生えているようだったが、近づいてよく観ると砂埃を被ったような、薄茶っぽい黄色の小さな花を一杯付けて咲いている。砂埃を被ったせいなのか、元々こういう色なのかは分らないが、全体にそんなくすんだような色をしているので、近くに行かないと分らない。
その先にも違う種類のちょっと大き目の、やっぱり黄色の花が咲いていた。おい等は「だんごバナ」以外、花の名前はまったく知らないが、こんな砂漠の中で見たときは生命力の強さに驚き「花とはいいもんだなあ」と一瞬癒された感覚になった。緑さえ満足にない処で、くすんだ色とは言え彩りのある花を見られたのであるから、なおさらのこと強く感じた。
この辺りは土が固くしまった上に薄っすらと砂が被った地形なので、花も根付いたのだろう。場所によっては、土だけの所もあり、水分がないため地割れしている。従って足もぬからず走り易くもあるので小走りに走った。
2時間ほど行った13㌔地点のCP1で水を補給したところで「〇☆ー※・〇☆ー※」とおい等の名を呼ぶ声がする。見れば会長のパトリック・バウワー氏ではないか、最初から一緒に写真に納まりたいと思っていたので、これぞチャンスとばかり傍へ行き、抱きつきあっちぇー抱擁を行い、同伴のスタッフから写真を撮ってもらった。フランス語は分らないので「オーサンキュー」を叫びながら連発して礼を言った。フランス人は陽気でいい、それにあやかりたいものだ。
ここからCP2までの9.5㌔を2時間あまりかかり到着。水を受取る時に確認の為と親しみを込めてなのだろう(と理解、それとも確認だけかも)、名前を繰返し呼んでくれる。
このCPを過ぎて少し行った処で、強風が砂を舞い上がらせ、周りは何も見えなくなった。どうしていいか分らなくなった。このまま進むと、人間左右どちらかの方向に曲がって進んで行く。そうなるとコースから外れ、自分の位置が分らなくなり、砂漠を彷徨(さまよ)う子羊となってしまう。非常に危険な状況を感じる。これが砂嵐というものか、と。
過去のレースで1週間ほど迷い巡り、現住民に助けられ命拾いをした実例があると云うことだが、多分こういう時に強行に前進したのではないのか。と頭の中を過(よぎ)る。だから、前が見えなくなった時は立ち止まって砂嵐が収まるのを待った。幸い強風はすぐに治まり助かった。だが、その時は前のランナーはそのまま進み誰も居なくなって、進む方向が分らなくなったらどうしよう。なんて、またよからぬ心労が出るのであった。
CP2以降は殆ど砂丘地帯の砂が粗いせいか、前のランナーが通った跡は砂が荒れて足が潜ってしまい、走力のないおい等には負担が大きく走れたものではない。皆さんの通った所から大分外れれば少しはましなのではあるが、遠回りになりコースを外れる心配がある。だから、あまり外れたくないのだ。おい等のポジション辺りでは他のランナーも殆ど歩いている。
明日のハイライトのため、スタミナの温存を図ろうと歩き通した。それでも足が砂にとられ疲れてくる。
今日はやっと砂漠らしく砂丘が続くコースであった。コースの半分以上を歩いたので、とても長く感じた。また、途中から左足の親指の爪の処が痛み出してきた。爪の下に豆でも出来たのだろうか。それともゲーターが殆ど役に立たない状態で、砂がシューズの中を占領しているので、砂と擦れているのだろうか。
瓦礫(がれき)の山も幾つか越えたが、なんとか15:56ようやくB4のゴールアーチが見え38㌔のステージをクリアすることができた。これで明日のノンステップステージへ進むことができる。ついにここまで来たかと思うと少し感無量になる。だが、安心はできない。いよいよ明日が最大の山場であるからだ。
どんなコースなのか砂漠の夜走はどんな感じなのか、まったく想像すらできない。疲労ばかりでなく、コースを外れ彷徨(さまよ)うことを一番心配しなければならない。また、睡魔にも襲われるだろう。と心配は尽きず、次から次へと切りがなく湧き出てくる。これが人間の脳味噌の仕組みなのか。今、その対策は考えられないが、その時の状況で脳が勝手に判断して対処するだろう、と腹をくくる。
まあ、動物は何とか生き延びようとする本能があるようだから、今はその準備段階。だから、色々想像しておいた方が、後できっと役に立つ。なんせただで済み、損もないし脳活にもなる。ジジイに打ってつけだ。
こんな砂漠の中だというのに小蠅(こばえ)に一日中付き纏(まと)われ、顔に止まってイライラのしっぱなしで払いのけるが、すぐまた取り付いてストレスが大いに溜まっている。これも心労の種だ。
アフリカなどの映像でよく見掛けるが現地人の顔に蠅が止まっている。あの蠅である。蠅が止まっているのになんで平気な顔して気にしないのか、と思って見ていたが、追っ払っても、追っ払ってもすぐに纏わり付くので、切がなく面倒くさい。それに追っ払う仕草で手も疲れるので、ほったらかしているのだ。ということがよく分かった。気にすると疲れてどうしようもない。一体全体こんな砂漠の中で何を餌に生きているのだろう。不思議な蠅だ。
このB4地の標高は625㍍。誤差を考えれば、この前後であろう。気温は日中で35℃程。風があるので暑さはそう感じない。
このB4地でも風があったので、ベルベル人を呼んで、風が吹いてくる方の天幕を閉じて貰う。そうしないと砂も一緒に舞い込んでくる。砂漠と言う処は厄介な処だ。それに乾燥しているからか、じっとしていると日蔭は肌寒い感がする。彼等とて当然英語は通じないだろうから、お互い英語は分からない。言葉は通じなくても人間は賢い動物であるから身振り手ぶりで、ちゃんと分かり合えるのです。
洗濯をして、早めの夕食をすませ寝袋に入り休息をとる。とは云っても凍りもちにドライフルーツにナッツ。満腹感はないが腹7分目である。甘物が恋しい。
本日の走行程 ・・・・・38.0㌔(105.9㌔)
所要時間 ・・・・・7:21:12
レース4・5日目 ノンステップステージ
いよいよ4月10日(水)の朝を迎えた。最大の難関と位置付け、ここをクリアできて要約完走が射程圏内に入ると位置付けていたハイライトステージだ。
朝食後パッキングし、ゲーターの補修を行い足にセットする。その上から荷造り用ビニールテープでグルグル巻きにして、砂の侵入防止を図る。だが、どの位持つかは? たいして期待はしていないが、さりとて何か対策を打たないことには始まらない。でも、今日はS氏が持参していた、日本製の荷造りテープを頂き期待大だ。今日のこのステージをもってくれれば、云うことなしだ。
そして配給の水を受取り8時頃にスタート地点へ。
今日は75.7㌔と長丁場ステージなので、トップ50位までは我等より3時間遅れのスタートなのだ。そうはいってもおい等クラスは数時間で追い抜かれるだろう。だが、絶対3時間は抜かれることはないからと、少し変な安心感。
いつものようにセレモニーを行い8:40位にスタート。例によっておい等は後方からスタートというか出発だ。なんだかワクワクする気持ちを抑えながら、冷静を装って小走りにゆっくりした足取りで進む。
目標は明朝11日の8:00までの24時間以内にゴールすることを目指す。制限時間は34時間で時間は十分ある。だが、「兎」になっては時間などいくらあっても足りなくなる。できるだけ休憩は取らず「亀」に徹しないと。足はゆっくりでいいから動かし続けること。当然なことだが、休んでいる時間はアッと言う間に過ぎ去るが、距離は縮まない。いかに休憩時間を短縮するか、だから腰は下ろさず立ったまま休むことを心掛ける。下ろす時は食事の時のみと肝に命じた。とにかく完走しかないのだ。
スタートして、少し行った処で小高い砂丘を越えるが、その手前で我が日本チームの牛君を追い抜いた。
10:20CP1(11.5㌔)にゴール。水を受取りボトルに詰め5分程で出発。ここから砂場を少し行くと山超えである。岩山や石ころのある小高い山または丘といった処で、河原だったようでもある。そういう少し平な処は道なのだろうか車の轍(わだち)が残っている。それとランナーが通っている処は1本道となり線となって延びている。
今まで目に付かなかったが、時々転がっている石に赤く、スプレーでマーキングがしてあるのが目に付くようになった。コースのマーキングなのだろう。先頭はいつもこんなものを確認しながら、コースを外れない様、走っているのかと思うと、トップを走るということは大変な苦労があるのだと気が付いた。まあ、当然ながらトップを走ることなどないが、おい等には無理、やっぱ後からゆっくり気分で付いていくのがラクチンで楽しいよ。
そんな処を越えてCP2(スタート地点から24㌔)にスタートから4時間20分ほど掛り到着。CP1からは山や丘のような地形が続いていたので、殆どウォークであった。
大分気温も上昇してきたので暑さを感じるようになっている。到着してすぐにボトル2本を受取る。
余った水は使い切って行くか、そのまま置いて行くのだ。おい等の場合は、せっかくの水だから体を外から冷やしたりして全部使い切ることにしている。
ここを6分ほどでCP3へ向けスタートする。砂丘で走りにくい。それを幾つも越えて行く。また、大分暑くなってきているので無理をせず歩いての走行というか歩行である。
出発して1時間程すると広い河原だったような所に出た。長い直線でランナーが続いているのが確認できる。そこを走ったり歩いたりしていると、3時間遅れでスタートした、首位を争っている2人がピッタリとくっついて追い抜いて行く。バックも小さいが、足が早い。軽快に走って行くではないか。おい等とは大分違う走りだ。
続いて後ろから来るランナーにもドンドン追い抜いて行かれる。おい等がスタートして、5時間半余りである。距離にすれば30㎞地点辺りになるのだろうか。早い奴はいくらでもいるのだから、おい等はおい等のペースで焦らず、奴等を構わずに進むのがベストと言い聞かせながらである。まあ、言うなれば負け惜しみ、それとも悟り・・・? そんなものでござる。
それから1時間40分程進みCP3へ15:41に到着。15、6分で次のCP4へ向け出発する。非常に暑くなってきた。次のCPで夕食としよう。
この区間も同じように砂丘と涸れた河原のような処の繰り返しである。例によって砂丘の処は砂地が掘り返され、荒れていて歩くにも足が砂に埋もれて大変。
この大会のコースは小さな盆地のようになっている所を、幾つも越えて行くような地形である。周りは山に囲まれていて、内側は涸れた河原だったような平な処と砂丘の繰り返しとなっている。その山を越えると、また同じような山に囲まれた小さな盆地をなしている。木もなく八方同じ様な風景で代わり映えがしない。
その盆地の直線距離は数キロと思われるが、何もないから距離感が掴(つか)めない。また、目印なる物が見当たらないから。同じ処を走っているような気持ちにもなってしまう。だから、こういう景色はここモロッコでしか味わうことができないのだろう。そうすると、サハラは広大だから、他はどうなっているのだろうか?
CP3を出発して2時間余り行った17:47。距離にして8,5㌔(このステージのトータル45,2㌔)のCP4に到着した。遠くに見えた時は、ここで少し休憩が出来る。と、安堵感が頭の中を過ぎってきた。休みたいという気持ちが先行してきている。
暑いせいもあり少々疲れ気味でもある。日も少し陰ってきたが、まだまだ暑い。もう少しすると暗くなってくるので、その前に休憩を兼ねて、テントの張ってある所に腰を降ろし、夕食を摂ることにした。
夕食は凍り餅である。これは知人が、軽くてかさばらず腹持ちもいい物だと贈ってくれたものだ。
この大会で心配したのは空腹をどう克服するかであった。そりゃ一杯食べれば満腹になるが、荷物をいかに軽くコンパクトにして臨むかでもあった。その荷物の調整は食糧でするしかない。となると、いかに少量の食糧でスタミナを付け、空腹感が出ない、つまり腹持ちのいい食べ物を持つかである。そう考えた時、普通の餅をそのまま持参しようかと考えたが、量(かさ)の割に重くなるのであった。登山用で水に浸して食べる物があったので、それにしようと決めたのだが、おい等の故郷ではまだ雪もあって、山シーズンが始まらず、品不足で手に入らなかった。
そんな時、この凍り餅を頂いたのであった。有りがたや有りがたやです。
1時間程食事をしながら休憩し次へ向う。もう18;41である。先程より少し暗くなりかけている。夜間走行に備え受取っていたケミカルライトをザックの外に装着。まだ、点灯するには少し明るい。
スタートして、すこし経つと暗くなってきた。もう皆は、ケミカルライトを点けてザックにぶら下げ走行している。では、おい等もと袋から取り出し点灯しようとしたが、スイッチがない。点灯できない。ライブで手に持って振っているのはTVで見たことはあるが、ただの棒ではなかった。
うしろから来たランナーに聞いたら、簡単にその棒を「ポキン」と、へし折った。と、同時に光輝いて点灯したのである。あまりに簡単でおい等恥ずかしくなった。歳は取っていても、現代物には対応出来ないジジイになっているのである。
そうなんです、このケミカルライトは米航空宇宙局(NASA)が、アポロ計画の宇宙船内で安全な照明を作るために開発した物なんだそうだ。
棒をポキンと折ると中に入っているガラスの容器が割れ、容器の内側と外側に入っている液体が混ざることによって、酸化反応が始まるという代物(しろもの)である。
で、暗くなって周りもよく見えなくなってきて心細くも成ってきている。いつの間にか他のランナーの姿もみえなくなっている。だからこのケミカルライトの光も確認できない。ようは距離も長い区間なので、皆バラバラになって来ているのだ。道を間違っては大変。頼りになるのは前のランナーの足跡だけである。それにもう一つ頼りになるものに気が付いた。それは先ほど、ライトの点け方を教えてくれた男女2人連れである。この人達に付いていくしかないと決め必死について行った。
おい等が先になったり、後になったりで相手も必死に前に進むのだが、暫くすると疲れるのだろうスピードが落ちる。そうなるとおい等が先になる。そうするとまた盛り返し抜いてくる。女子といえども足が長いせいか歩くのも相当早い。付いて行くだけでも大変。
幾つか砂丘も越えて20時頃だろうか、夜空を見上げると太い光線が、頭上を通って宇宙の方へ延びて行っている。何だろうと最初は思っていたが、前進するにしたがって進行方向から延びてきていることに気付いた。これはきっと、方向を誤らないよう配慮して光を放っていると確信したら何となく、頼れる存在ができたので安心する。特に夜の砂漠の孤独は不安だらけで禁物だ。
それから1時間ほど行くと、CP5の手前でこの光線を発光している装置場所があった。そこから9㌔地点のCP5(54,2㌔)の明かりが確認でき、じきに到着。もうクタクタで足も上がらなくなっている。
ここで水を補給し、少し腹ごしらえをして、20分後の21:15に最後のCP6を目指し出発する。残りは20㌔ほどになった。
ここまでで3分の2ほどクリアできたのだから残り3分の1だ。最後のCP6へ到着できれば先が見えてくる。と、自分を叱咤激励し、とにかく前へ、前へ前進あるのみと言い聞かせ歩き出す。
ここからは、涸れた河原だったような平坦で地面も固く走って走れないことはないが、疲れもあり、先はまだまだ長いうえに夜中となって行く時間帯なので、無理をせず確実に行程を上げることに専念して歩くことにした。「亀」になり切って行けばゴールはおのずと少しずつ近づいてくる。それだけを頼りに前へ。
先ほど来、河原だったような地形が続く。空は満天の星空と云うのだろうか。空の部分180度の範囲、つまり地上より上の方は☆、星、ほし である。空気も澄んでいるのだろう日本で見る星よりは輝いているように見える。とは、云っても周りは暗闇であるからか。ヘッドライトを各ランナーが付けているので、前後遠くでチラチラと明かりが揺れるのは確認できる。それと遠くの方で時々車の明かりが現れては消えて行く光景などが、闇夜の中に光るのが確認できる。多分大会スタッフが車で移動か巡回しているのだろう。明かりが恋しくなって来る時間帯でもある。やっぱり人間は夜行性動物ではないので、暗いと不安と恐怖に襲われてくる。
ケミカルライトは500㍍おきに設置されているはずだが、遠くからでは光が弱いのと、少々の高低もあるせいで確認出来ない。近くにいくと地面に置いてあったり、木があれば枝にぶら下げてあったりしている。この500㍍間隔を目標に次のライト地点までを目指すのであるが、辿り着くまでの時間が結構長く感じる。1人でいるとやっぱり心細くなり、コースを間違ったのではないかと、よからぬ心配が頭の中を過(よ)ぎり大変だ。そのライトの目星が確認出来ると気持ちは落ち着く。たかが500㍍ごとき、と思っていたのだが、結構な距離感である。
また、砂漠の一人旅は「♪月の砂漠をはるばると・・・」を口ずさんで行けば、ロマンチックに浸れると思いきや、恐怖心でそれどころではない。カワユイ彼女と一緒なら真っ暗闇がいいに決まっているのだろう、が・・・。残念ながらそんな彼女はいない、相手にされないジジイの一人旅が続く。あの粋な旅がらす的雰囲気とは相当かけ離れている。砂漠の中を行くただの彷徨人だ。
そうこうしているうちに後ろからきた外国人に追い抜かれて、置いていかれてしまう。とにかく外国人は歩くのが早い。何時ものことで分かっているとは言え、またまた悔しいジレンマを味わされている。
23:44最後のCP6(65.2㌔)へ辿り着く。あと10㌔余りなんとかこのペースで、最後の区間もクリアできそうだ。と元気がでる。
とにかく、この区間は地面が硬く歩き易かったのと、直線のコースでランナーの点けているライトの光が確認できたので、コースを間違わずに安心して進むことができ到着できた。目出たし、メデタシだ。
10分程で最後の区間へと進む。外国人のグループがいたので付いて行こうと後に続いて出るが、やはり速く付いて行けない。次に来たのが少々遅いペースのグループだったので、これに離されない様付いて行く。ここは地面が砂地で足を取られ歩きにくいが必死に付く。これからは草木も眠る「丑(うし)三つ時(AM2:00~2:30)」となって行く時間帯で、一層の寂しさに襲われ一人では心細くなるからだ。後2時間程でゴールもしたいと欲も出てくる。
やっぱり涸れ上がった河原だったような所を走りAM2:00少し前だろうか、B5(75.7㌔)地の明かりが見えた時は、思わず小さな声で『やったゾー・ヨッシャー』と呟いて気合いを入れ直した。
それから少し歩いて2:18ゴールした。いつもゴールしたところで御馳走してくれる甘い紅茶をグイーッと飲乾す。今日は疲れと、乾きとホッとした気持ちが重なり格別に旨さを強く感じた。もう1、2杯欲しいところだが、後のフィニッシャーのことを考えると、おねだりはできない。多分おねだりをしても断られただろうが。
これで、やっと先が見えてきたし、完走できるゾーという気持ちが湧いてきた。テントへ戻るとH氏はとっくにゴールしたようで熟睡している。後は今日1日ゆっくり休養を取り、疲れを取ることに専念する。早々にシュラフに潜り込み休む。
朝方5:00過ぎI氏がゴールしてきた。その後リベンジ君(前年途中リタイヤの雪辱戦者でこう呼ばれている)にS氏が11:00頃にゴールしてきたが、我がテント最長老がなかなか来ない。どうしたのかと心配するが情報もない。だがまだ時間はたっぷりあるからそのうちくるだろうと思っていたら、案の定15:00過ぎにヒィーヒィー言いながら足を引き摺る様にやって来た。
これで我がロートル群団6名全員がゴールした。老いてもやれば出来るのだ。ガンバッターガンバッター。
本日の走行程 ・・・・・ 75.7㌔(181.6㌔)
所要時間 ・・・・・ 17:43:38
レース6日目
4月12日(金)。5:10起床、まだ暗い。疲れていたのだろうグッスリ眠れた。でも夜中は暑くて汗をかき、時々目が覚めたが、またすぐに寝入った。
皆も起きてガサゴソやっている。湯を沸かしアルファ米のドライカレーとパワーバー1本で朝食。
いよいよレースとしては42㌔の最終ステージだ。ここまでくればなんとかなるだろう。しかし、このジジイ群団は皆大分疲れてきている。当然だがちょっと弱気な気持ちが出始めている。気合いを入れるため大丈夫を連発して励ましたつもりだが、効いたか効かなかったか。まあ、時間はたっぷりあるから気楽にと付け加えておいた。なんとしてもこのロートル群団6名全員がフィニッシャーなる称号を手に入れ、若者に気合いを入れてやり、元気付けねばと思っている。
夕方の大会終了セレモニーが始まるまでに、なんとかゴールしていたいものだ。
7:30頃に障害者が一輪車で屈強な男達に付き添われて出陣して行く。周りにいた者達は拍手を送って見送った。ここまでくれば完走間違いないだろう。よくぞ頑張ったものだ。感動が湧いてきて、おい等も拍手で見送った。
あの山超えや砂丘超えは、いくら鍛錬した者達といえ、相当難儀しただろう。だが、本人にとってはこの上もない感動が得られたことだろう。見ているおい等さえ感動し、元気付けられたのだから、他の障害者もきっと勇気付けられること間違いなしだ。
例によりラジオ体操を行って、スタート地点に向う。その手前に少々の人だかりが出来ていた。何だろうと近付いてみたら、赤いランニングユニフォームを着た、昨年の優勝者で今回2位を維持しているゼッケンナンバー“1”の選手が目に入った。その隣にはゼッケンナンバー“74”で1位を堅持している選手がいるではないか。先日から記念写真を1枚「一緒に撮りたいなあ」なんて思っていたところだ。“ザ、チャンス”2人揃っている。こんなラッキーなことはない。と、そばに駆け寄り2人にお願いした。2人の間に割り込みそばにいた他の選手にお願いして、シャッターを押してもらう。「ラッキー、ラッキー」こんな嬉しいことはないと、もう3位気分でウキウキだ。カメラを失くさない様気を付けねばネ。有頂天になると、次にアンラッキーに出会うもの。したがって、注意し気を引き締めて「行くゾー」。
8:40過ぎにスタート開始。例によってヘリコプターが低空で横になってバリバリっと頭上に飛んでくる。迫力満点で興奮も最高潮になる。ついつい声も張り上げたくなる。
背中のザックの中身も大分軽くなっているが、その分疲れてきているので、それほど軽くなったとは感じない。だが、今日で終了すると思うと元気も出る。もう少し砂漠を走りたい気持ちにも成ってきた。
大会はもう1日あるが、明日はチャリティーウォークなので、競技としては今日が最終日。だから、今日でスタミナを全部使い切ろうと考えていたので、スタートから走っている。
コースは、例によって涸れた河原のような処で、石がゴロゴロしていて地面は固く走り易い、ランナーの進んでいる処は踏まれて1本の道筋となっている。そこを外れると石ころだらけで脇見をしていると躓いてこけそうになる。
今日は風もなく暑い。幾つか小高い丘を越えてCP1(10.5㌔)に到着したのが1時間40分後。水を補給しすぐに出発する。いままでと同じように石ころの河原、山とも丘とも言うような処をゆっくりペースで走れるだけ走る。
CP2(22.5㌔)へゴールしたのが12:14で、ここで、水を補給し6分後にスタートして行く。
ここからも暫くは今までと同じようなコースで、石ころだらけのコースであったが、そのうちに砂丘超えがあり、シューズの中は砂で一杯になる。
まったく高価だったゲーターなのに役に立たないも同然。だから、シューズは相当重い。だが、いちいち脱いで砂を出している訳にもいかない。一歩砂に踏み込めば、ドサッとまた入ってしまう。砂に足が擦れて豆が出来なければグッド。重いのは『トレーニングと心得よ』の精神で進む。
14:30なんとかCP3(33.7㌔)に到着。ここでは10分後の40分に最後のB6地点へ向う。あと10㌔程だ。
ここからも石ころあり、砂丘あり、山あり、丘ありのステージなのだ。途中丘と云うか山というか小高い頂上に城だったような建物の一部が残っている処があった。ダンプカーが可動中で土を運んできているのか、運んで行くのか分らないが、何か工事をしている。この辺りはもう人里なのだろうか。でも、人が住んでいる気配は感じられないが、ゴールも近くなっているから、やはり集落なのだろうか。
この山を下る途中にも廃墟となったような村の処を通った。人がいるような、いない様な処で、何人かは住んでいるようにも思われる。以前はもっと人がいて活気があったのかも? 農地らしき場所も見当たらないし放牧の様子も伺えない、いったいどんな生活ぶりなんだろう。
普段何気なく当たり前と思っている我生活が、ここではとても感じられない。国や地域、人種によって生活様式は異なると言え、いかに我生活が幸せということなんだろうか。何の太郎兵衛が言ったかは知らないが「人は不幸には敏感であるが、幸福には鈍感である」と。ただ、人によって幸福感は違うから本人次第だ、が。
こんな所を抜けると砂漠の遥か遠方。とは云っても石ころだらけの地面ではあるが、そこに白い物が見え、その近くに旗が翻っている。
最初はよく分らなかったが、間違いなくB6の最後のゴール地だ。ついに完走? 完歩することができる。と、思うと嬉しさが込上げ、足どりも軽くなったような気がする。
とうとうやっとこの時がきたのだ。「世界一過酷」と云われるこの大会に幾多の試練はあった。だが挫けずにチャレンジして本当に良かった。と、心底思えてきた。
だが、走っても歩いても一向にゴールが近づかない。遮るものがなく一直線上に見えるが砂漠での距離は長い感がする。
それから40分程走り続け16:05に要約フィニッシュ(42.2㌔)である。ゴールラインを越えたそこには、会長のパトリック・バウワー氏が待っていて「〇・☆~・※~」と名前を3回ほど連呼し、完走メダルを首に掛けてくれた。そして、またもやあっちぇ~(熱い)、あっちぇ~抱擁なのだ。完走して気持ちいいというのかジジイ同士抱き合って気持ち悪いというか、ちょっぴり複雑な気分だ。
でも、会長自らがゴール地点でフィニッシャーを祝福してくれる大会は初めてだ。それだけでも感激だ。そして、ホッペをくっ付けたあっちぇ~抱擁である。それにしても、会長はこんなハグ行為を何十人ともやっているのだろうか、若い娘っ子とならまだしも、汗臭いジジイや男同士とでは、考えただけでも超キモ悪くなる、のに。こっちは、1回で済むからまだしも。それに完走した歓びと他人から祝福されたことを併せれば数倍返しの歓びとなるからましだが。
そう考えると会長は凄い人だ。ランナーの気持ちをちゃんと知っているし、遠く海外からきている人達ばかりだから、満足度も上げてやりたいという心配りもあってのことなのでしょう。
とても、とてもおい等はマネなんぞできません。敬服します。土産に爪の垢を瓶詰で頂きたいものです。
休憩後の夕方、ゴール地点へ様子を見に行くと、丁度牛君がゴールして来た。疲れた様子で「ブタに間違えられた」としょげ返っている。無理もない。よく縫いぐるみを見れば鼻なんかブタそっくりだ。離れて見れば乳牛の白黒のマダラ模様は分るが、そうでないと、彼は背が高いので、彼の頭の上にある牛の顔は、下から見上げる恰好になるので、鼻の孔しか見えないのである。そうだとも言えないし、しょげ返っている姿を見たら、同情してやらざるを得ないのであった。
食事は、この日の夕食から提供されるので並んで配給を受け、久々の食事らしい食事を摂った。そして久々に満腹感を味わう。日本食とは違うムスリム(イスラム教徒)に併せた食事だが、それでも大会期間中に持参していた食事とは違って旨さを感じる。やっぱり普通の食事が一番だ。
その後、大会も終わったと思うと何もする気も起きず、虚脱感に襲われたようで、ただ、ボーッと寝て暇をもてあましていた。20:00からイベントも始まって賑やかだったので様子を見に行く。
砂漠でのコンサートは当然初めてで、リズムが素晴らしく、それに音響と照明ですごい迫力を感じる。
本日の走行程 ・・・・・ 42.2㌔(223.8㌔)
所要時間 ・・・・・ 7:21:26
総所要時間 ・・・・・ 46: 8:31(優勝者18:59:35)この差は何だ!!!
総合順位 ・・・・・ 652位/完走970名(出場者1,198名)
完走率 ・・・・・ 80.9 %
参加国 ・・・・・ 54ヶ国(非公式)
レース7日目 チャリティーレッグ
4月13日(土)晴。さあいよいよラストステージの始まりだ。嬉しいような淋しいようなちょっとセンチメンタルな気持ちである。
5:30起床、今日はテントの移動もないので、チョットゆっくり目で行動開始。そして、朝食はパン2切れ、フレーク少々、ジャムにバター、ヨーグルト、ジュース、コーヒーだ。この1週間と比べ豪華な食事だ。
何時もの工程をこなし9:00にスタート地点へ集合し、セレモニーを行い9:50に全員ユニセフ提供の青色のTシャツを着てスタートする。さあいよいよラストステージの火ぶたは切って落とされた。とは云っても、歩くだけであるからそう力まなくてもいいのだ。
例によって、ヘリコプターが歓迎するかのように、ジャンプすれば手が届きそうな低空を横になって、今日はランナーではないウォカーの頭上を飛行する。それに連れられウォカーは「ウォー」と手を振りながら歓声をあげる。今日は距離も短いし、皆完走したという安堵感もあり気持ちにも余裕があるのだろう、気分もノリノリだ。ゆっくり最後の砂漠を満喫しながら進行すればいいだけ。
最初は小石の転がっている台地や涸れた河原のようだった処で地面も固く、歩くには何の支障もない区間であった。2~3㌔ほど進むと今度は砂丘郡に入る。
小さな砂丘やちょっと大き目の砂丘を越える。砂が粗いせいか足は少々潜って歩き憎い。
特に「車が危ないので1列に並んで・・・」なんていう注意事項はないが、綺麗に1列に並んでの行軍が続く。先が見えない状況では、我先にという心理が失せ安全を確認して進む心理が働くのだろうか? 遠くで見ていると人ではなく、蟻ん子の行列といった滑稽さである。
今日はゲーターもテープで留めなかったので、砂丘郡に入った途端、砂が容赦なくシューズの中を占領し重く歩き難い。だが、距離も短いので初めから辛抱と決め込んでいる。
2時間余り歩くと少々小高い丘の上に人だかりが見えて来た。ゴール地点である。現地の人達や応援で駆けつけてきた人達。それに、スタッフの人達の出迎えである。11:50にゴール。とうとうこのサハラマラソンも終了した。長年の憧れだったこのサハラ。また、色々な試練を乗り越えてここ迄くることが出来たサハラ。なんとか望み通り完走もでき、感無量である。
そして、夕方ホテルibs(アイビス)へ到着。我々日本人全員がこのホテルである。指定された部屋に入り1週間ぶりにシャワーを浴びホテルのレストランで仲間3人と軽く祝勝会をやり完走の喜びを語り合った。
翌日パリへ、次の日は皆と別れ、1人パリ市街地を散策し、夕方シャルル・ドォ・ゴール空港に辿り着き、なんとか飛行機に乗ることができ、無事成田へ18日の夕方着陸。雨にも祟(たた)られず、念願の完走ができ、目出たし、メデタシ!!!
今日の歩行程 ・・・・・ 7.7㎞(231.5㎞)
所要時間 ・・・・・ 計測なし
最後に
ようやく、この「サハラマラソン」への参加が実現でき、長く想い描いていた夢を叶える事ができた。
「世界一過酷」と言う文句につられ、単純な好奇心から未知なる世界への憧れとなり、自分への挑戦と位置付けたものでした。
一番不安に思っていたのが、やはり空腹感をどう克服するか。空腹を感じてくると、全身に力が入らなく成ってくるからです。そうなると、長丁場な距離であるが故に、リタイヤも想定しなければならないような状況にもなったでしょう。幸い持参した物と量で賄う事ができ、心配していた空腹感に襲われる事はありませんでした。
これも悩んだ末に、自分が出した答えが間違っていなかった。と、考えるとなおさら達成感が大きくなって感じられます。
そういう意味では、この大会はサバイバルレースというよりも、競争ではなく自分で考えた物を調達し、未知なる世界に挑んで行く、アドベンチャー的要素が大ではないだでしょうか。
いずれにせよ「世界一過酷」と云うよりは「世界一厳しいルール」の大会と云えるのではないでしょうか。
環境保護に対する考え方、大勢で広範囲に亘り移動しながら生活して行く訳ですから、当然ゴミ問題が絡む。砂漠だからといって汚していいということにはならないでしょう。そのために当事者である選手一人ひとりに注意してもらうようルール化し対応している。
それに安全面である。砂漠の中での競技ですから、殆どの選手は普段の生活環境とは、まったく違う異質な世界で競技するのですから、当然と云えば当然かもしれません、が。
メデカルドクターの52名もの配置、ヘリコプターでの監視、車による巡回そして心電図の提出による健康チェックなど。
申込時は面倒に思い、参加を止めようかと考えた時もありましたが、実際砂漠の中で競技をやってみたら、仕方ないことだということが分かり納得しました。だから、砂漠という環境が想像できない自分が如何に初心(うぶ)であったか思い知らされた気もしました。
この大会自体は、参加ランナー全員に完走して貰い、砂漠の醍醐味を十分味わって、完走の喜びと併せて倍にして貰おうという配慮があるように感じられます。競技をする人、大会を楽しむ人、砂漠を官能する人等に振り分けられるのではないでしょうか。私自身は大会を楽しみ、尚且つ砂漠を楽しむ事が出来たグループに属すと思っています。
いずれにしても、聞くと見るとでは大違いである砂漠を経験できたことは、大変満足で☆☆☆☆☆です。
さあ、皆さんもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。