2023年第37回サハラマラソン参加者体験記集

今年のレースは

日本からの参加者

2023年4月23日~29日まで開催された第37回サハラマラソン。1,085名でスタートし、最終のゴールラインは765名が通過。完走率は70.5%、2021年大会に続いて二番目に低い率でした。全長は242㎞。配給したボトルは162,000リットル、600名のボランティア、50ヵ国からの参加でした。日本からは81歳から21歳まで31名、内途中棄権8名。大会サイトには「この冒険に挑戦したことを祝福します。これらは自発的挑戦であり、砂漠の極限状態との対決です。」記載されています。まさにその通りでした。かく言う私は途中棄権。
今後の挑戦者のために公開された体験記を集めてみました。並べて読んでみますと、各人各様、正統派から個性派まで、とても参考になりました。(私の勝手なコメントを付けました。お許しあれ(笑)そして未掲載の方や掲載不可の方ご連絡ください。)

なんとサハラに18回参加したJunkoさん

主催者パトリックと

初めてJunkoさんにお会いしたのは第28回大会でした。なんでも二年に一回サハラマラソンに出ているとお伺いして驚きました。なぜなら失礼ながらがっちりしたアスリート系でもなく普通のお嬢さんだったからです。でも厳しい環境の中で行われた今年の大会のあと「練習は裏切らない」と言われた時、私は自分の甘さに頭を殴られたような衝撃を受けました。淡々と書かれている今回の体験記、きっとベテランから初心者まで参考になるでしょう。


お陰様で 第37回大会(私事としては18回目)サハラマラソン無事に完走することが出来ました。2019年に参加した時から既に4年の月日が流れていました。その間に色々な事が有りました。2020年に父が敗血症で入院。毎日 本当に不安でした。(お陰様で今は元気です) 昨年は 母が不安神経症的な症状が出てしまい、毎日 電話がかかって来て その対応に てんやわんや。 そんな時に限って仕事は 残業続き。思ったようなトレーニングが出来ず 苛立つ日々。こんな状態ですサハラに行って良いのかとも考えた。 でも 大好きなサハラに また行けるしあわせを噛み締めての参戦。 4月21日 四年ぶりのパトリックさんとの再会。 両手を広げて 私を思いっきり抱きしめてくれた時は 感極まって泣いてしまった。砂漠に着くと 懐かしい顔ぶれが! スタッフのナタリーさんが出迎えてくれた。 全く変わってない素敵な笑顔😊  あー やっぱりサハラに来て良かった。その先にはテント設営の今やボスになっていた ハッサンが迎えてくれた。 彼とは彼が15才だった時から知っている。 テントで何かあった時はいつも助けに来てくれるので 本当に頼もしい‼️ 今年は一番はじのテントになった。 仲間は皆 愉快な方達で良かった。もちろん サハラの戦友 レナさんも一緒だ。 ほか 姉御肌で楽しい デンさん。 世界のトップランナー 明るくて素敵な尾藤さん。 真面目で優しい土屋さん。 年齢層には見えない少年のような 橋本さん。 寡黙で大人な 森田さん。 10日間一緒に過ごす事になる。 私の大切な仲間になった。 今年は食欲もあり 体調は すこぶるよい。 何とか今年のサハラは楽しく走れるかもしれないなどと思っていた。だが それは単なる理想に過ぎなかった。

4月23日 本日いよいよ第一ステージ。四年ぶりのサハラマラソン。36km。 1日目は だいたい強度なコース設定は ない事が多いので あまり気張らずに暑さに慣れる事を念頭におく。 朝食は 大嫌いなアルファ米だがなぜか 食欲もあり美味しい感じている。 体調も今までにないくらい良く 四年ぶりだと言うのに不思議だ。 朝8時スタート。 あのいつもの曲 Highwey to Hell が流れた。 やっとやっと ここまで来れた。長かった。胸に込み上げるものがある。サハラの戦友 今回でサハラ10回参加となる レナさんが「スタートしたらパトリックに 気づいてもらえるよう 近くにいきましょうよ!」と言ってくれ高台に上がってGO〜〜‼️‼️‼️と叫んだパトリックさんに2人で近づいた。 パトリックさんは私達に気づいてくれて ジャポねーず、 レナー!ジュンコー!とマイクで叫んでくれた‼️嬉しい😃これで一日頑張れる!スタートしてから私は だいたい右側を走るのが好きである。人とぶつかることも無いし ペースを守れるからだ。 今年は行動食をたくさん持って来てしまったので 水を含めるとザックの重量は 11キロになってしまった。 軽量化にこだわった時もあったが、年齢とともに不安のほうが先になり重さには目をつぶるようになってしまった。 ある程度 平坦を走ったら 小さい山越えがいくつかあった。 初日なので辛さはこんなものかな?などと感じていたが今年はザックの重みがこたえる。 昼過ぎになると小さい砂丘越えがいくつかあった。 懐かしい感じはしなかった。 また ここに帰って来れた嬉しさのほうが強かった。 だが 気がつくと とぼとぼと歩き出してしまった。今日は かなり暑い。 頭がポーっとして来た。  かこつけた言い方になってしまうが 今までの唯一の私のこだわりが なるべく走り続ける事だった。 しかも初日から歩き出してしまう自分がショックだった。 回りをみても ほとんどの選手が歩いており 皆が歩いているんだから 無理しなくていいかななんて 今までに無い自分がいた。

続きはフェイスブックへ https://www.facebook.com/hasumi.junko.58

個人的な応援サイトも立ち上がっていました https://www.facebook.com/hasumi.junko.58

18回目のゴール!パトリックと熱い抱擁&祝福のキッス

日本を代表する砂漠の女王 RENAさん

私がお会いしたのは28回大会、この大会がレナさん初出場でした。まさかあれから10回連続でサハラに出ようとは。そして4desertマラソンにも挑戦して遂には南極まで制覇しました。流暢な英語、フランス語などの語学力にを使って、大会本部から来るメールを丁寧に翻訳、そして注意ポイントなどを流してくれています。これこそ我々が見習うべき選手として、そしてすべての参加への無償の奉仕、これが砂漠の女王と呼ばれる所以ではないでしょうか。

✰レース直後にFBに掲載されたメッセージ
レース中、温かく見守り、応援メッセージをくださった皆様、本当にありがとうございました。今年は10回目の節目ということで、上位半分以上を目標に参加しましたが、そんなに甘くはありませんでした。

レースの出だしは絶好調で、びとーせんせのトレーニング効果、そして昨年1年で鍛えられた早歩きに磨きがかかっていました。

3日目終了時点で上位半分以上の位置にいて、次は得意のオーバーナイトステージ、もう目標達成したと思ってました。

オーバーナイトステージ前半は好調でした。が、夜中頃に体調が急変し、嘔吐しまくりで歩くのもままならず、次のCP6でメディカルに行き点滴を打ってもらおうと、それまでは頑張ろうと思ったけれども、残り2kmのところで耐えられず、ビーコンのSOSボタンを押して、大会スタッフを呼びました。

その場でメディカルにより点滴を受けることになりました(2時間ペナルティ)。点滴を受けながら見た星空は生涯忘れることはないでしょう。美しかった。

点滴を受けたら吐き気は止まりましたが、倦怠感は抜けず、ペースはかなり落ちるけど歩けるのでレース再開。ゴールまで残り約20km、ここからが地獄で、フラフラになりながら、なんとかゴール。

最終日のマラソンステージは、更に最悪の状態で、CP1まで嘔吐を繰り返し、ここで2回目の点滴を受けたら失格と、崖っぷち状態でした。時間ペナルティをたくさんくらっても、完走出来れば良いから、コース上のスタッフから水をもらい、体にかけ続け、なんとかレースを終えることができました。

2021年で相当痛い目に遭ったので、熱中症の対策を立てていたのですが、まさかの夜、、。

でも2021年に比べて今回良かったのは、

・点滴を打たせてもらえた

・SOSボタン押したらちゃんと来てくれた

もう来年はいいかな、10回を節目にしばらくお休みしようかと思いました。

が、

来年こそはスーパー早歩きで上位半分以上を狙いたいと思っている自分がいます😀

それにまた仲間たちに会いに帰りたいし。

最後に、サハラマラソン実況中継をしてくれたサンドネジャックの皆さん、ありがとう。

そして、いつも呆れながらもサポートしてくれる旦那さん、ありがとう。

詳しいレポートは下記のnoteへ

https://note.com/rena_fr/n/n2ff10499e60b?fbclid=IwAR2_cGN75-2KcUL7YAaTC5lh-Vg1qLwY_B7RRaW_BGJJHQ5Nv8KmkBLSDg4

お嬢さんたちの寝姿を公開するのは少し心苦しいのですが、これほど今年は過酷だった

4年間の禁酒、強い意志で総合136位に入ったMotokiさん

2度目のサハラマラソンに出ると決めて禁酒をする。しかしコロナでさらに3年延びたがここで凡人なら禁酒の誓いなどは反故にするものだが、この青年は固く誓いを守ってトータル4年の禁酒を断行。見事結果は総合139位入賞。
一方サンドネ隊長として事前情報も流し続けてくれたおかげでどれだけ日本の参加者が助けられたことか。感謝しかない。そしてnoteに中級者向けの実践対策を掲載。

note https://note.com/1024_sahara

「中級者向けサハラマラソン対策」について

このnoteは自給自足型アドベンチャーマラソンの草分け的存在である「MARATHON DES SABLES」、いわゆるサハラマラソン(以下MDS)において
完走+@を考えている中級者。具体的には全体順位の50%以上を目指す方のひとつの指標になればと思い私の持論と実行した方策をまとめた記事群となります。
50%の順位は走力でいうとフルマラソンを4時間程度で走れる実力があれば十分可能だと考えています。

筆者はMDSに2度出場・完走しており、特に2度目の第37回大会はMDSのその長い歴史の中でも屈指の過酷な気候での開催となりました。
レースは砂嵐から始まり、日に日に暑くなる展開で最高気温は50℃を超え、救済やスタート時刻の繰り上げがあったにも関わらず約3割の選手がリタイアする結果となりました。
リタイアまで至らずとも熱中症などに悩まされ本来の実力を発揮できなかった選手が多く見受けられました。

後述しますが、私はさほど身体能力が高い訳ではありません。自身の程度、実力をはっきり自認した上で如何に戦えばより上を目指せるかを考え実行しました。
その結果、総合で139位(1085名中)という望外の記録を残すことができました。
ただ、これは前述の第37回大会の厳しい気候に逆に援けられた面が大きいです。
例年の様な完走率が90%を超える条件での開催であれば恐らく300~400位程度に収まるだろうと事前分析しており、
それはレース後の自身の個人結果を見ても(タイムは多少縮まるとしても)その印象は変わっていません。

要するに私は気候によらず一定の実力を出すことができ、出せなかった選手が落ちていった。それが今回の結果です。
私の持論の核はまさにここ。”如何に実力を発揮できるか”です。
ここでいう実力とは経験値や技術力は一旦抜いた基本的な走力ということになります。

第37回大会は極端な例となってしまいましたが、過酷度によらず熱中症は発生しますし、足のトラブルはつきものです。
その実力を発揮できなくなってしまう、いわば”マイナス”への振れ幅を如何に小さくできるかを想定して準備・対応するのが私の方策となります。

例を挙げましょう。
気温6~8℃程度、風もなく穏やかな日差し。コースは平坦基調でエイドも充実した地元のマラソン大会。

この様なレースの場合は体調管理もしやすく、走り馴れたコースは普段通りの実力を遺憾なく発揮できる条件十分かと思われます。

MDSはその対極に位置するレースです。

最高気温50℃以上、酷い砂嵐に焼けるような日差し。直前まで伏せられたコースは起伏に富み、
決められた量の水以外の食料・装備は自身で用意する必要のあるサハラ砂漠で開催されるステージ制のマラソン大会。

基本的に普段通りにできないことばかり=マイナスですが、それを如何に0=普段通りに近づけるかが肝となります。
私の考えるそれらマイナスの要因は、
①気候、②地形、③自己管理、④装備、⑤補給、⑥体調、⑦負傷、⑧メンタル
これらは単体ではなくそれぞれ連動しており、良くも悪くも他に影響を及ぼすので総合的に組み立て、考えることが肝要です。
その昔、初めてMDSを知った頃に「大事なのは総合力」と聞いたことがありますが今はとても腑に落ちています。
余談ですがサハラ仲間と交わすレース談義も大体この内容なので如何に影響が大きいか窺い知れます。

①②は自身ではどうにもできない面もありますが、想定した訓練と対応は可能です。 経験がものを言う箇所でもあります。
③④⑤は徹底的な想定と準備を行いましょう。これらは0に近づけることができます。
⑥⑦は防ぎようのない突発的なものはありますが、それでもその確率を減らす対策・対応をすることはできます。
はたったひとつ、マイナスどころかプラスにも持っていける代物です。①~⑦の準備如何で、または独立して得れる強力な武器です。

次回以降の記事では上記の①~⑧をそれぞれ詳細に、時に包括的に、実際の結果と併せてまとめていく予定です。

最後に第37回大会出場時の私の基礎スペックと結果を書いておきます。
以降の記事は当然ですがこの基礎スペックを基に組み立て実施したものですので、
それをご承知おきの上で参考にされる際はご自身の内容に置き換えてアレンジしていただくのが前提となります。
この点は非常に重要ですのでくれぐれもよろしくお願いします。

独善的・限定的な内容ですが、どうぞよろしくお願いします。

●基礎スペック ※第37回MDS開催時点(2023/4/23)
[性別] 男性
[年齢] 40歳4ヶ月
[身長] 180.0cm
[体重] 74.0kg
[走歴] 10年3ヶ月
[走力] フルマラソン 3時間30〜40分程度(練習時の計測による。公式大会未計測)
[MDS出場歴]
第29回(2014) 236.2km 62時間38分11秒 総合830位/出走1029名、完走917名中
[その他マラソン等の出場歴]
マラソン(フル以上)、トレイルランともに無し
[補足]
・本格的なトレーニングは2022年12月1日から月300~400km程度。中強度のロードでのロング走中心
・2014年のMDS出場以降から上記までは月100~200km程度で低強度で走力の維持(フルマラソン4時間程度)のみに注力
・80km程度の距離は毎年2回以上走行
・トレイル練は2023年3月から10回程度を集中して実施
・筋力トレーニングは2015年から継続して実施
・2022年11月からはボディバランスとトレイル向けの筋力トレーニングを重点的に実施
[結果]
第37回MDS(2023) 234.3km 41時間00分42秒 総合139位/出走1085名、完走763名中
Stage1 36.0km 5時間33分54秒 216位
Stage2 31.7km 5時間27分04秒 159位
Stage3 34.4km 5時間07分31秒 110位
Stage4 90.0km 18時間23分10秒 154位
Stage5 42.2km 6時間29分03秒 184位

そしてサハラの情報サイト「サンドネ」https://www.facebook.com/sandonnee

7年ぶりにリベンジNobuyosiさん

点滴3本打って一時は最後尾迄まで。でも「完走するためにまだできることがあるはず」と思い見事完走、リベンジを果たす。一度リタイアすると今回もかと頭をよぎるもの。そこを乗り越えられたものは何か。その答えがここに。

報告が遅くなりましたが、6年ぶりのリベンジ「サハラ砂漠マラソン:7日間243km」を完走しました。

前回リタイア時も苦しかったのですが、過去37回中2番目の暑さだったらしい今回はさらに厳しく(コース上で最高52度を記録したそうです)、暑さが苦手な自分にとって本当に地獄のような状況でした。

2日目の猛烈な暑さの中での山越えで強いダメージを受け、この時点で既に前回と同様にほとんど固形物を受け付けられません。熱中症・脱水症状回避のために飲み続ける水も吐きそうです。1日2000kcal摂取のはずが500kcal程度のまま、とにかく一歩ずつ脚を進めるしかありません。

4日目の深夜には、疲労と眠気で砂丘の中で倒れて眠ってしまい、5日目の夜明けにはペナルティ覚悟で点滴を3本打ち、一時は最後尾まで転落。

それでも、「完走するためにまだできることがあるはず」と自分の身体に問いかけ、水摂取・身体を冷やすための定期的な水浴びを慎重にマネージメントしながら脚を進め、僅かな可能性を繋ぐことができたと思います。

「村山さんが完走したら泣いてしまう」と6年前から言ってくれていたテントメイトの彼とゴールで抱擁し、互いに号泣して、何度も自分の限界を超えた旅は最後だけは最高の喜びで終了。

限界を超えていた厳しい状況でも一歩一歩何十万歩も足を進められたのは、応援をしてくれた沢山の人達の顔を思い出していたから。あれが無かったら無理だった。

忘れることのない挑戦の後押しをしてくれた大会スタッフ・応援をしてくれた皆に、最大の感謝を捧げます。

ファイスブック https://www.facebook.com/nobuyoshi.murayama.3

あの牛君がワークマンで

言わずと知れた牛の着ぐるみで3度もサハラを完走したYosizouさん。今回は事前のFacebookではスタートライにたてるかどうかぐらいの体調だと・・・・ところがスタートしてみれば根性の走り、装備は誰よりも重く、砂除けのゲーターはモロッコの市場でもらった網の買い物袋。着るものはワークマンで涼しいと言われた買った作業服の上下。でも感動のゴールをしました。近代科学に基づく準備もいいけれど、こんな本能で行くサハラはさらに素敵ですね。

オーバーナイトゴール

自分でも信じられない事ですが、完走出来ました。応援いただいた皆さんに心から感謝いたします。

今まではこの牛の着ぐるみで走っていました
ゲーター、モロッコの買い物袋で自作

21歳大学生Koukiさん

うんちくが好きなサハラのおじさんたちを横目に淡々と走り切りました。素晴らしい!

7日間かけてサハラ砂漠の計250kmを走る、

MarathonDesSables #37 を無事完走しました。

人に語れるような動機も信念もなく、決して十分とはいえないトレーニングと準備で参加した自分は、「いざ砂漠についてからの自分の頑張り」のみに賭けてました。そして、それを試してみたいという気持ちもありました。

結果、初日で大後悔・猛反省。

でも、望んでいた忍耐勝負を思う存分できそうということで、喜びもあった気がします。

とくに3日目以降は、想像以上のきつさでした。正直なところ痛み出すまでわすれてたんですが、生まれつき負傷がある僕の膝蓋骨には、連日の砂漠ランというのはやや御法度だったみたいで、悲鳴をあげてました。

気が狂いそうなオーバーナイトの90kmを歩ききっても、次の日への不安で喜べませんでした。

でもその分、翌日ステージ5をゴールした時に感じたあの感情は、今後簡単には体験できないと思うし、言語化もきびしいので、しません。(言い訳)

それくらい、インパクトのある経験でした。

次のチャレンジは、勉強です。

個人的にサハラより高い壁。

この勢いで駆け上がります。

ーー

出場決定直後、右も左も分からない状況で助けてくださったれなさん。有馬のトレランという、怠惰な僕にとっては気の引き締まる機会を作ってくださった尾西さん。テントに誘ってくださり、準備段階からお世話になりまくった地守さん。毎晩楽しむことを思い出させてくださって、「正気」に戻してくれた中園さん。膝を診てくださり、テーピングまでしてくださった櫻木さん。

終始いい雰囲気だった162番テントの皆さん。道中何度も顔を合わせた日本人選手の皆さん。全員書けないのが心苦しいですが、全ての人にこの場を借りてお礼させてください。本当にありがとうございました🙇‍♂️

歌舞伎役者がサハラを疾走

初日に彼の歌舞伎姿を見たときには「ホンマカイナ?」と驚きました。牛君二世?そんなもんではありませんでした。サハラの後に世界のスラムをなくすため、世界中の人に会いに行くと言ってました。そして彼は有言実行中。一生サラリーマンだった私には、若い起業家の考え、行動は想像を超えた世界。でも何かをやりそうな予感がします。陰ながら応援しています。

世界屈指の過酷レース。今年は過去2番目にきついコンディション(最高気温50℃超えた?)でしたが毎日歌舞伎になり無事完走しました。

8ヶ月みっちしトレーニングして、『これ完走いけるな!』と思っちゃったので、赤い獅子のカツラで負荷かけたけど1億回くらい後悔しました。暑過ぎた。。。

でも、最後までやり切りました!!

ガチの大会なので仮装は1人だけでしたが、お陰でニックネーム(Go!レッドドラゴン!)も大会運営から授かり、メディアにも毎日注目していただき、カツラ外しにくい環境ありがとうございましたw

200キロ終了時点で、上位200位入ったので、ファイナルでトップ選手と同時スタートできました。横のトップランナーの『なんでこんなふざけた奴いるんだよ?』の目が痛かったですが無問題です。

オフィシャル動画でも結構映ってるのでみてみて下さい。1200人位中、200位でした。

木の棒持ってスタートする動画がかなりシュールなんですが、現状誰も気付づいてくれてません。画像付けておきます。

走った感想は″サハラ砂漠を舐めるな″です。ヘリで緊急搬送多数でした。バタバタとリタイアしてくる雰囲気は初体験で新鮮でした。

また、ステージレース中ずっとキツイです。ただ、その過酷な中で一歩一歩進んでいってゴールするこの数日間は人生の縮図だなと思いました。

ゴールではしっかりと号泣もできたので目標達成です。

『自分の限界に挑戦したい』『何かを変えたい』そんな人全員に出て欲しいです。一皮剥けた気がしてます。

さて、これから世界行脚スタート!!!

女子総合三位入賞プロランナー(?)Tomomiさん

昨年も女子総合2位に入賞。トレーニングジムを運営されています。御覧の通り明るく若さ溢れています。2025年は優勝を目指すと宣言。きっとこの方なら成し遂げるでしょう。
一方モロッコからの帰りのチャーター便のなかで鼻血を出されてぐったりされて姿を見て、相当過酷だったことが伺えました。それとともにこの方もスーパーウーマンだけどやっぱり人間だったのかととても親しみを感じました。正にプロ!

ファイスブック https://www.facebook.com/yuki.yamaguchi.77715女子総合3位

【世界一への挑戦】2025年、必ず優勝します✊🔥🏆✨

私は世界一を目指すウルトラランナー TOMOMI🏜🏃🏿‍♀️

世の中で最も過酷なマラソンと言われている

🏜サハラ砂漠250km走って

㊗️日本人快挙!2連続入賞してきました🎉

頑張ったね!お疲れ様!と思ってくれた方は

是非いいね❤️&フォロー👆

コメント📝もらえたら嬉しいです

この動画に全てが結集されていますhttps://www.facebook.com/reel/185476590695639

ランニングカメラマンKoukiさん

サハラマラソンにはいろんな目標を持って走るランナーがいます。Koukiさんとはテントが違って、さらに私が早くにリタイアしたため何故尾藤さんのランニングカマラマンになったかを聞き漏らしました。しかし撮影しながら走る姿や、出来上がった尾藤さんの動画を見るとその苦労が分かります。女子総合3位の尾藤さんを前から横からそして後ろからの撮影ですから相当の脚力がなくては不可能です。そしてこの難しい撮影をしながら見事100位に入賞。立派です。2025年尾藤さん優勝の瞬間の撮影が楽しみです。

2023.4.23〜4.28

サハラマラソン 250km🏜🔥

@marathondessables

走りきりましたーーー!!!

■結果

Stage1 56位

Stage2 113位

Stage3 45位

Stage4 224位

Stage5 25位

★Total 100位/約1,100人★

結果は、目標とはかけ離れてしましました。

それでも、最終日にはiPhoneとGoProを抱えて、 @tomomi_challenger の追い撮りをしながら、前を走る選手を追い抜く時には全ての選手に声を掛けて、一番明るく楽しくカメラを回して走ることができました📹🏃‍♂️

ゴール後、 尾藤さんからの感謝の言葉に涙が止まらず、これが自分のしたかった走りなんだと気付かされました。

スタートからゴールまで、どんな距離や場所でも追い撮りできるランニングカメラマンとして、もっと成長していきたいなとこの大会を通して強く思いました。

次にサハラマラソンを走る時は、ランニングカメラマンとして、尾藤さんのMDS優勝を一緒に走って見届けたいと思います✊🔥

最後に、応援してくれた皆さん本当にありがとうございました😭✨

今回、何度もやめようかと心が折れそうになることがありましたが、レース前・レース中にもらった皆さんからのメッセージのおかげで完走することができました。

本当にありがとうございました!!

p.s 水が何より大切なサハラで、泣きすぎていつも以上に目が無くなりました🫣

サハラの後に世界一周に出掛けた専業主婦Fukujyunさん

自称「専業主婦」3人の子さんお母さん。とても明るくてシャキシャキと正に竹を割ったような性格。ほとんど歩くことなくサハラを完走。英語、韓国語堪能、そして初めてのサハラマラソンに感激して来年のサハラのボランティアに即日応募された。この行動力に脱帽。トライアスロンもやられているらしい。さらに驚くことにゴールした後一人で世界一周に出掛けました。お子さんたちも許してくれたそう。そんなスーパーレディも世界一周初日に一人ぽっちの寂しさから涙する、そんなチャーミングな一面を持っていました。世界一周お楽しみください。

【回想③:2023サハラマラソン4/23-29】

今回のレースは過去10年間で2番目に過酷だったとのこと。(レナ師匠談)

最高気温52度☀️

連日ひどい砂嵐で毎度テント崩壊w

※ここから長文↓

「サハラのコースはほぼ平坦ですよ」

誰が言ったんだよー!

めっちゃエグい山登りだし、登ったら登ったで、ほぼ直角なんじゃね?と言うくらいのオニ砂丘下り。

暑いし、荷物重いし、ずっと喉乾くし。

なんでこんなレースにエントリーしちゃったんだろう。。。

「あー早く終わらせてテントで休みたい」

テントに帰ったところで、暑いしなんもすることないんだけど、とにかく早く終わらせることだけを考えて足を前に出す。

自分との約束:

■最初のCPまでは絶対に走ること。

走ると言ってもジョグのスピードしか出せない。

■足裏・足指は絶対に守ること。

各CPで靴下を脱いでガーニーグーを塗り、確認。

■ヤバいと思ったら、すぐやめること。

幸いにも大丈夫だった!健康な身体に感謝!

レース前は、「人生についてゆっくり考える時間がある〜ルンルン♬」と思っていたが、そんな暇はなく。

熱中症にならないために水分と塩分コントロールをしっかりと行わなければならいないし、あといくつ山を越えるんだっけ?補給食はいつ摂ろうか、などなど考えることがいっぱい。

でも、砂漠に慣れてきた3日目。

走り出してから、ぶわーぁぁぁっと泣けてきて。

私は砂漠で一体何をやっているんだろう?

自分はあと何年間生きられる?

生きる意味とは?

人生で1番大切なものは?

子どもたちに会いたーい!!!

「ああ!これ!これ!これがしたかったんだよーぅ!!!」と、自分で自分に感動して更に号泣wアホか!

▶︎考察:

サハラの参加者ってほとんどが経済的に豊かで成功している方ばかり。

それなのに、なぜこんなアホなことをしにきているのか?

ノープライバシー、ノーシャワー。

なんならノートイレ!

パソコンも携帯もない原始的な生活を送り、持参した限られた食料のみを食し、仕切りのないテントの中で砂だらけになってみんなで雑魚寝。

敢えて不自由な環境に身を置き、「走って食って寝る」だけという生物としての”人間“の在り方を再確認し、本当に大切なものは何なのか?を考えるためにレースに参加してるんじゃないかな。。。

※あくまでも私見。

それがしたくて、わざわざ高いお金払って、こんな超クソ暑い砂漠で、荷物背負って、アホみたいに走ってる。

もーーーぅ!

めちゃくちゃロマンチックじゃないですか❤️❤️❤️

人生に迷ったら【サハラマラソン】!!!

めっちゃキツいけど、めっちゃ楽しい♬

私はもう既に他の砂漠レースに出たいと思っています!

ああ〜!

ドキワクが止まらなーーい!

レース後手が浮腫んだそうです

Facebook https://www.facebook.com/profile.php?id=100009706231573

生きている間に生まれ変われMasatoさん

パリで事前顔合わせをしているとき「難病があるんです。汗が出ない・・・」と自然体で話をされました。聞けば4年間毎日10キロ走ったそうです。どこから来るのでしょうかこの意志の強さ。自然体だからこそ続くのでしょうね。

-走る人・マサト-

【難病チャレンジランナー】☞過酷な環境での長距離レースで自分の限界に挑戦!/▫️4年間,毎日10kmを走破▫️100kmマラソンを3回走破 ▫️ 東京→大阪500kmを16日間で走破▫️サハラ砂漠マラソン250kmを走破

リンク先 https://lit.link/masatochal?fbclid=IwAR25IhkrlKac6-H9gG7r1aM3KmUZ2F9A_NB09eB3bT_A5j-na505vScsQI0

冒険者の匂いが・・Arihitoさん

10年前のサハラマラソンでご一緒させていただきました。「なぜ今回のサハラへ?」「10年前に出たときに10年後に出ると決めていました」さらっと言った言葉に冒険家の匂いを感じました。お祭りのようにはしゃぐ一部の参加者を横目に淡々と完走。そして3週間後、まだ誰もがサハラの疲れが取れていない中、次のレースに向けての基準をクリアするため、候補の二つのレースからなんと過酷な方を選択。(下記参照)男気を感じます。

来年また、山岳レースに応募するため、100Kの記録で規定をクリアすべく、同日開催される、東京100kと野辺山100kに申し込んでいました。

直前まで悩みました。

普通に記録狙いなら平坦な東京100kです。

でも。。、東京で記録を出しても嬉しくない。

日本屈指のアップダウンを誇る野辺山で記録を狙おう。

始めて走ったウルトラも野辺山。

やはり甘くは無かった。

でも楽しかった。一年中訪ねている八ヶ岳の中腹を走るので、見る山は全て登ったことがあり、一人で挨拶しながら走った。

残り3キロをキロ4分で走らないと、規定の記録に届かないことがわかった。

97キロ走ってきた、残り3キロ。。

まず無理です。

でも、諦めたくなかった。

心臓が飛び出すほど腕を目一杯振って頑張った。

結果、1分20秒オーバーでした。

今日出せる力は全部出しました。

野辺山を選んだことは全く後悔していません。

記録はあまり良くなかったですが、

総合30位〜40位だったと思います。

また、初心に、戻って頑張ります。

2度目のサハラ250kmは暑かった。

日中は温度計を見ると45℃。

塩タブレットを取ってはいたが、足りなかったようで、4日目に吐き気が止まらなくなり、水も吐いてしまう状態。

日が暮れても治まらないので、星空を見ながら、

砂の上で横になり朝まで過ごした。

少し良くなり、レースを続けることができ、

何とか完走。

砂嵐あり、

熱波あり、

の盛り沢山なレースでした

前回より成長したのは、

痛みや苦しみに対して、本当にヤバいか

抱きしめて前に進むか、判別が上手くなった

ことくらいかな

どこからでも見える

でも、ここにしかない空

また会う日があるだろう

Facebook https://www.facebook.com/arihito.tsujimoto

まさに地守教教祖Ryoさん

緻密なのかやんちゃなのか分かりませんが、その独特の思考回路がまさに「唯我独尊」。沢山の人に影響を与えていました。今回は日本人唯一の「ヘリコプター」経験者となりました。

相当怪しいランナーでした(笑)

倒れたときのことを思い出してみます。

まず今年のサハラは例年より最高気温が10度も高かったようです。

実際、私が出た2016年よりもかなり暑く感じました。

しかし2016年の私と違うのは、腰には水掛けスプレー、頭にはソーラーファンが着いていることでした。

水掛けスプレーは5kmにつき750mlの水を体にかけていて、常に体はビチャビチャのヒエヒエでした。

頭のソーラーファンは麦藁帽子の中をキンキンに冷やしてくれました。

実は皆が暑い暑いという中、割と快適にレースを進めていました。

倒れたのは5日目。

オーバーナイト明けの午前中です。

朝7時前にCP6(73km地点、残り17km )に到着し、ここで3時間仮眠を取りました。

そして朝10時に起きて次のエイドまで9.7kmに対して、水を4.5リットル持ちました。

自分としては飲水1.3リットル、掛ける水1.5リットルの合計3リットル弱で足りると思っていたので、かなり余分に持っていました。

しかしこのスタートの時、今までと違っていたのは、スプレーとソーラーファンが壊れたことです。

スプレーは夜中に壊れましたが、夜はそんなに暑くないので、ココが壊れてから初めての日中でした。

ソーラーファンは夜中に走るときにリュックに雑に突っ込んでおいたら壊れました。

2大秘密道具のスプレーとソーラーファン(通称タケコプター)を失った状態での初の炎天下でした。

また、この時は気づいていませんでしたが、3時間の仮眠中に水分をあまり取らなかったので、もしかしたら脱水気味になっていたかもしれません。

スプレーが壊れたので、ペットボトルキャップに穴を開けたシャワーを使って体を冷やしながらの再スタートです。

5km,7km,8kmと順調に小走りで進みました。

スプレーに比べてシャワーは想定以上に水を消費しました。

9キロ地点で水は残りわずか。

9.7km地点にあるはずのエイドが見えない。

エイドまではあと1kmないはず。

9.5km。

まだ見えない。

あの丘を越えれば見えるはず。

9.7km

ない。

エイドがない。

水が無くなりました。

ここまでカッパのように全身ビチャビチャにすることで、僕の体表面温度はかなり低く抑えられていました。

触るとどこも冷たかったので、おそらく20度台。

水がなくなった瞬間に体が乾き始めます。

10.3km地点で体が完全に乾きました。

体温の急上昇です。

外気温は50度以上。

おそらくこの瞬間に体表面温度は30℃近く急上昇したんだと思います。

そして一瞬で来た目眩。

これはヤバいと思い、前を歩いていたランナーに

『ヘルプ・ミー SOS』

と叫び、Yマークを作り、自分もGPSのSOSボタンを押しながらアカシアの木陰に滑り込みました。

SOSボタンは即リタイヤ、ヘルプボタンはメディカルの救助で再スタートできる、との認識だったので、一瞬迷いました。

実際、最初に押したのはヘルプボタンでしたが、すぐにSOSを押し直しました。

命最優先で無理はしないことにしています。

ギリギリまで勝負して倒れたとか、全力で全て出し切ったとかではないんです。

秘密道具が壊れたことと、距離が思ってたより長く水がなくなったことの2点です。

アカシアの木陰に入ってからは意識が飛び飛びになりました。

座っていても倒れれば頭を打つので、頭を低くしザックにもたれ、ザックから日除けにエマージェンシーシートと寝袋を出して被りました。

前にいたランナーは気づかずに行ってしまったようでした。

後ろには当分、ランナーが来ないことを知っていました。

リュックからペットボトルや小物類を出してコース上に投げました。

見つけたランナーが、ただ寝てる人と思わず、必須装備たくさん散らばっとるで、ヤバいでと思ってもらえるように。

そしてまたしばらく気を失いました。

この人が来ない時間というのは永遠のように感じました。

それからNo.1119のランナーやNo.841のRachelが来てくれて、特にRachelは自分の持っている水を全部ぼくにかけてくれて、飲ませてくれて、脈を測ったり、ずっと声をかけてくれました。

人が近くにいて声をかけてくれるだけでこんなに安心するんだ、というのは新しい発見でした。

Rachel Belmont は命の恩人です。

ありがとうございます。

感謝しています。

それからメディカルの車が来て点滴を受け、自分では頭はシッカリしていると思っていたので

『おれは元気になった!

再スタートする!』

と言いましたが全く体は動きません。

メディカルのみなさんも色々検査した結果、これは無理だからとヘリが呼ばれ、ビバークに運ばれました。

私の体温は40度以上あり、メディカルテントでは白い死体袋のようなものに入れられ氷水を注がれました。

ありえないほどの冷たさに凍死を覚悟するほどでしたがまだ体は40℃から下がりません。

ぼくはガクガク震えていました。

氷水を入れても溶けてすぐに水温が上がってしまうので、次は死体袋のチャックを開けて強力な扇風機で体を冷やし始めました。

体の背中側は冷水に浸かり、服に染みて体全体はビチャビチャ。

そこに強力扇風機です。

めちゃくちゃ寒い。

死ぬほど寒い。

ガタガタ震えすぎて何度も舌を噛みました。

1時間、2時間、3時間、自分はガタガタ震えていますが、体温は40℃。

点滴は垂れ流しで、おそらく8本は打ったと思います。

あまりの寒さに何度も医者に抗議しました。

これでは寒さで死んてしまう。

砂漠で凍死だ。

でも体温は40℃から下がらないので仕方ありません。

4時間が経ちました。

メディカルに何人かいたランナー達は点滴を1本打てば終わりで帰っていきます。

こんな拷問のような冷水扇風機を受け続けているのは僕だけです。

夕方になり気温も下がってきて、メディカルにいるランナーはぼくだけになりました。

夕ご飯の時間です。

医者も看護師もメディカルのスタッフは全員、食事に行ってしまいました。

私は気温が落ちてきた夕方の砂漠のテントで、極寒の中、ガタガタガタガタと震えていました。

頭がぼーっとしてきました。

なぜか震えが止まりました。

ふわ〜っとして意識が遠く、視界がぼんやりしてきました。

もしかして、これは、、、凍死!?

誰もいないテント。

遠のく意識。

スタッフの一人が帰ってきました。 

『ヘルプ・ミー SOS』

本日2度目のSOSです。

寒い、寒すぎる、体温測ってくれ・・・

医者に触られたとき、手が温かいと感じました。それまでは冷たく感じていたのに。

体温を測ると34℃

低体温!

いや、ちょっ!

低体温やん!

医者も、ヤバ!って顔になり、すぐに死体袋から出されて濡れた服を脱がされました。

体を温めなさい、と。

砂漠でパンツ1枚。

メディカルテントの外の砂に転がってガタガタ震えるおっさんが1人。

設定が複雑すぎてこの苦しさは誰にも伝わらない。

これで死んだら、家族には

【砂漠の熱い砂の上でパンツ一枚で凍死していたそうです】

と伝えられてしまう。

葬式に来た人も意味が分からん過ぎて、頭の中が???だらけになり悲しんでくれない。

昼には熱中症で死にかけ、夜は低体温で死にかけるという両極端のダブルパンチを喰らいました。

ここまで極寒の中5時間。

熱中症で死ぬ方が、凍死するよりだいぶ楽だなと思いました。

同日に2つを体験した人類は他にほとんどいないでしょうから、たぶん、確かです。

スタート前に教祖(?)が聖水を掛ける(笑)

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黙々と走るHiroyukiさん

一緒のテントでスタートしました。登山歴が長い方でチャラチャラした雰囲気のない真面目な方でした。そしてとても親切にしていただきました。失礼ながらまさかリタイアするとは。初日からお腹の調子が悪かったようです。こんな事アクシデントもあるんですね。再挑戦を期待しております。

とっても素敵な写真ですね

【届かなかったサハラの夜の夢】

*サハラマラソン参戦の総括です。

相当な長文です。

すでにお知らせした通り、サハラマラソンは第4ステージのCP(チェックポイント)2でリタイアとなりました。

50歳の時に、今の仕事を定年退職したら自分へのご褒美として参加しようと決めていたサハラマラソン。

結局コロナの影響でさらに3年間待たされ63歳で臨んだ今大会でしたが、力及ばず完走の夢は叶いませんでした。

リタイア直後、私は「凄まじい暑さと下痢に苦しめられながらもやり切ったので悔いはない」と言うようなコメントをしていました。

しかし制限時間ギリギリでも最後まで諦めずに完走した他の日本人選手の話を聞くうちに、「本当に自分はやり切ったのだろうか?もっとやれることがあったのではないだろうか?」という思いが強くなってきました。

私は登山にのめり込んでいた時期が長かったこともあり、余力を残して無事に下山することが重要だという考えが身に染み付いています。

当然サハラもその考えの延長上で捉えていましたが、余裕を求めるあまりいつの間にかゆるい旅ラン的な方向に気持ちが傾いてしまっていたのかも知れません。

ここはサハラ砂漠のど真ん中。

時に生死を分ける厳しい環境の中で行われるレースだということを決して忘れてはならないのです。

その心の中に生まれた隙が、リタイアという結果につながったのではないでしょうか?

私はサハラマラソンには綿密な準備をして臨んだつもりでした。

しかしいざ始まってみると想像したのとは勝手が違っていて、レースの中で修正していかなければならなくなったことが数多くありました。

まずそれらについて検証してみたいと思います。

①食糧計画での失敗

まず第一に食糧を持ち過ぎた点が挙げられます。

1日3000kcalで計算した結果、スタート前日の計量でザックの重量は10.6kgにもなりました。

スタート時はこれに水3ℓが加わります。

13kg以上担いだら軽快に行動できないことは事前トレーニングで十分想像がついていたはずですが、それでも私は食糧にはこだわりました。

どんなに疲れていてもしっかり食事さえ摂れていれば動き続けられるはずだと。

しかし持参した1日1000kcalの行動食は、連日3分の1程度しか口にすることができませんでした。

それもCPでグッタリしながら食べるのが精一杯で、日本でやってきた歩きながら食べる練習は何の役にも立ちませんでした。

またカロリーメイトタイプのものは食べる時に多量の水を必要とするため、カラッカラの口は受け付けません。

さらに新たな発見として、こんなわずかなエネルギーしか摂取していなくても、朝晩しっかり食べていれば何とか1日行動できてしまう事も分かりました。

にも関わらずエネルギー計算を見直して不要な食糧を捨てるという判断をしたのは3日目の朝になってからでした。

(ビバークサイトでは食糧以外にも不要な装備を廃棄することが認められています)

つまり2日目も重い食糧を担いだまま行動していたのです。

私は食べ物を無駄にすることにとても抵抗のある世代なのですが、生きて生還することが大事な時にそんな事は言っていられませんでした。

②装備面での失敗

今回はスマホ以外に防塵用のデジカメを持って行きました。

より良い写真が撮りたかったので3年前に購入していたものですが、重量は予備バッテリーを含めて300g近くありました。

この時点でサハラを舐めていると言われても仕方ありません。

(さすがにデジカメを捨てて行くことはできませんでした)

実際2日目に大きな山を3つ越えたのですが、登り切って雄大な景色が広がる度に呑気に写真や動画を撮りまくっていました。

その結果時間に追われ、ラスト1時間は必死に走らなければならなくなりました。

何とか制限時間内にゴールできたものの、スパートするタイミングを間違えていたら2日目の時点で足切りされていたかも知れません。

また自動翻訳のピコトークも持って行きましたが、レース前日のメディカルチェックの時に役立っただけでした。

それ以外の場所ではグローバル通信が使えず宝の持ち腐れになってしまいました。

そればかりか4日目にどこかでなくしてしまいました。

日本を立つ直前に購入したばかりでショックが大きいてすが、軽量化のために捨てたんだと自分に言い聞かせるしかありません。

③体調管理での失敗

レース初日にビバーク地に着いてから下痢が止まらなくなりました。

ただ緩いなんてものではなく水鉄砲のような水様便です。

私はレース中便秘になることは予想していましたが、下痢については全くの想定外でした。

当然下痢止めや整腸剤を持参していません。

どこかで自分だけは大丈夫だという驕りがあったんだと思います。

幸運にも日本人選手の中にドクターがいて適切なアドバイスを頂くことができました。

日本人選手たちの健康状態を気遣いながら自身のレースを続けられた中園先生と古川先生には大変お世話になり、いくら感謝しても感謝しきれません。

この場をお借りして御礼を述べたいと思います。

後で聞いたところによると、下痢に苦しみながら完走したという方が少なくなかったそうです。

細菌やウイルスが原因であれば体の外に排出することを優先させるべきなので、私は下痢止めは使わずにギリギリまで様子をみることにしました。

それでもとうとう4日目の朝(リタイアした日)、ドクターから頂いた下痢止めを内服しました。

それまで毎日コース脇で一体何回自分の排泄行為を人目に晒したことでしょう。

そんなことさえ恥ずかしくなくなる世界がサハラマラソンなのです。

④ルートファインディングにおいての失敗

ロードマップには広範囲の地形図とその日毎の大まかなルート図(沢登りにおける遡行図のようなもの)が記されています。

最初「コンパス必携と言いながら、地図には磁北線がないじゃない!」と絶句しましたが、要所要所に次の目標までコンパスを何度に合わせて進めば良いかが書かれていたので安心しました。

初日から私はそれを見ながらマメに進行方向をチェックしていましたが、外にそんなことをしている選手はいませんでした。

確かに大勢の選手の列が遥か先まで続いているので、その後をついて行けばルートを見失うことはありません。

コース上には標識やペイントも数多くあり、一人旅にでもならない限りは頻繁にチェックしなくても大丈夫でしょう。

(オーバーナイトステージを除いて)

それだけでかなりの時間のロスになるだけでなく、地図とコンパスの取り回しが悪いと行動する際の邪魔にもなります。

現在位置の確認は登山では当たり前のこととしてやってきたのですが、レースにおいては弊害しか感じませんでした。

そのため私は2日目の早い段階でコンパスはバッグの中にしまい込みました。

⑤ルール解釈による失敗

大会のルールブックには様々なペナルティーが記載されています。

故意による不正行為はスポーツマンシップにおいて厳しいペナルティーを課せられて当然です。

しかしあくまでレースを継続するために必要な体調を維持するのが目的なら、それはルール上認められたやむを得ない支援行為と考えるべきです。

何故なら水1本が生死を分ける事にもなるサバイバルレースなのですから。

実際点滴を受けて復活し完走した選手も数多くいます。

それと比べれば水をもう1本もらうだけてレースが続けられるのであればペナルティーも少なく、当然そちらを選ぶべきです。

しかしその時私の頭の中ではそのような柔軟な判断ができませんでした。

ルールを守れなければ失格だというふうに凝り固まっていたのです。

ですから4日目CP1とCP 2の中間あたりで今後の水の消費量を計算した時、CP2で支給される3ℓの水だけではその先のCP3まで進むのはとても無理だということが分かり、その時点で早々とリタイアを決めてしまいました。

そうなるとサバサバしたもので、風景写真を撮ったり、水が尽きてコース上に座り込んでいる女性選手に残りの水を全部あげることもできました。

自分はいくらカラッカラの状態でも、あと30分頑張ってCP2まで辿り着ければ終了なので。

私が水を分け与えた女性選手はその後復活し、自力でCP2まで辿り着くことができたようです。

それはそれで良かったのですが、彼女は私に気づいて礼を言うと、しばらく休憩した後CP3へと向かって行くではありませんか。

私はてっきり彼女がそこでリタイアするものだと思い込んでいただけにア然としました。

ギリギリの闘いを挑んでいる彼女に比べ、リタイアした私はまだ余力があるのではないか?

そう言う思いも脳裏を横切りましたが、一度消えてしまった闘志に再び火をつけることはできませんでした。

最初に決めていた通りスタッフにリタイアを告げ、私のサハラは終わりました。

あの時彼女に水をあげていなければ、と言った仮定の話は意味がありません。

その時点ですでに心が折れていたからそうすることができたのですから。

これは美談でもなんでもなく、サハラへ臨む覚悟の問題です。

その覚悟が欠如していた者がたどるべき当然の結末だったのです。

私がその「覚悟」を表現するのにどんな言葉を並べたとしても説得力はありません。

日本人選手の中にはオーバーナイトステージで水が尽きて気を失い、生死を彷徨った末にヘリで救助されるという壮絶な経験をされた方もいます。

それがサハラです。

おわりに

最悪完走できなくても4日目のオーバーナイトステージで一人サハラの夜を迎えるというのが私の夢でした。

しかしその夜を迎える前に私はリタイアを決断しました。

これまで参加したレースの中で初めて経験したリタイアでした。

サハラマラソンに挑戦するにあたって私を応援してくださった皆さんや、厳しい勤務スケジュールの中快く送り出してくれた職場の仲間たちには心から感謝しています。

本当にありがとうございました。

せめてそのお礼に完走報告ができたら良かったのですが、今の私の実力ではとても無理でした。

あれから1週間たち、レースについて少しは冷静に分析できるようになりました。

もし次があるとしたら、同じ失敗を繰り返さないようにすることはできると思います。

しかし、では来年リベンジを果たすために出場するかというと、そこまでの決断はできません。

まず体力的に厳しいということがあります。

せめてフルマラソンやウルトラマラソンで5年前レベルの走力まで戻さないことには完走は難しいと思います。

それも1日で終わりではなく、2日連続ウルトラマラソンを走っても平気なくらいの体力と精神力が必要だと思います。

そして腰の状態の悪化です。

3目あたりから腰が曲がり出し、自然に前傾姿勢で歩くようになりました。

この姿勢の方が楽なのですが、視野が狭まるため目標のペイントを何度も見失いかけました。

コースから50m外れたこともあり、その積み重ねは相当なタイムロスにつながります。

ヘタをすればコースアウトしてヘリを要請することにもなりかねません。

今年に入って腰の治療やリハビリに力を入れましたが、急ごしらえでは2日持たすのが限界でした。

次は費用の面です。

参加費だけでも結構する上に、東京パリ間の飛行機代と前後の宿泊費が必要なことを考えるとなかなか簡単には決めかねます。

私の場合一人暮らしで来年退職するので周囲への気遣いは心配いりませんが、退職後に計画していた第2の人生のあり方に大きく影響してきます。

でもそんな言い訳をあれこれ考えてしまうのは、今はまだサハラのことを忘れたいという意識が強いんでしょうね。

それほど今回サハラにはとことん痛めつけられました。

もっと日にちが過ぎて再びその思いに火がついた時は、何の迷いもなく「地獄のハイウェイ」に飛び込んで行くかも。

何故って、桁違いの苦しさと素っ裸の自分に向き合える純粋な時間、それを同時に体験できるのはサハラ以外に考えられませんから!

格闘家は違いましたYuusukeさん

モロッコに出発する前のパリのホテルでお会いしました。まさにイケメン。なんでもキックボクシング界隈では有名人だそうです。そんなそぶりも見せずとても謙虚な方。一週間前に練習中に靭帯を断裂(?)してギブスをしていたとか。初日はゆっくりと歩いていましたが、世界の格闘家、徐々にペースを上げ最後には余裕のゴール。流石ですね。

如何に頑張らないかで見事完走Hidekiさん

テントが違ったのであまりお話は出来ませんでしたが、完走SNSを読んで、これまたありかな?と思いました。十人十色ではなく千人千色ですね。

サハラ砂漠マラソン🏜まとめ

前回は2日目で時間切れリタイア。

今回は無事完走。今年は過去2番目に平均気温が高く毎日40度越えでMAX50度あった日もありました。リタイアが例年10%ですが今年は30%以上と滅茶苦茶過酷な大会でした。去年も10年振りくらいの砂嵐と言われて毎年何やかんや大変なんだと思います。

なぜ今年は完走出来たのか?練習は月に1、2回河川敷早歩きとか軽くジョギングしてた程度で1ヶ月前くらいから焦って荷物背負って20㎞とか歩いたけど、今更張り切って怪我したら困るからやめておこうという事で数回だけやりました。

スペックは中高は運動部で部活(言うても進学校の部活)で大学はワンゲル部(春、夏だけ)でやってましたがその後は遊び程度の運動なので肥満はないと信じてますがしっかり四十肩と老眼と痛風のおじさんです。

気合いや根性は幼少期から無いと母親に言われてたのでなんらかの原因でDNAから欠損しているのでしょう。

僕が人より優れている可能性があるのは、いかに頑張らないで済むかを考える能力と、失敗しても次に繋がるように多少強引にでも解釈出来る能力でしょうか。そしてどんな状況をも楽しもうと出来る事かな。

今回完走出来たのははっきり言ってたまたまです。大事なのでもう一度。はっきり言ってたまたまです。失敗には必ず原因がありますが、成功には原因がなかったりします。去年の失敗を活かせたのはあるかもしれません。去年に引き続きチャレンジの回数を増やしただけとも言えます。

つまりよく言われている、成功するまでチャレンジを続けて、失敗を少しずつ活かせばいつか成功する可能性が少しずつ上がると言うことでしょう。何回も成功せず失敗が活かせなかったらそれは向いてないと思って捨てるまたは違う方向に転換するかもしれません(専門医試験は向いてないからやめようかと思ったら受かりました)。

今までも大体のことは1、2回は失敗して成功したりやめたりしてきました。

皆さんは自転車一発で乗れました?九九も一回も間違わずに覚えられました?

そんなもんです。今やりたい事ありますか?あるけどまだ早いかな?とかまだ無理そう!なんて思ってませんか?

やってみて失敗して、でも行けそう!とかまだまだだいぶ早かったな!って手ごたえ掴むのもチャレンジしてみたからこそってのもあるかもしれませんよ!

失敗して再起不能になるチャレンジとか命に関わる失敗、一回しか出来ないチャレンジなら慎重にした方がいいですけど、そうじゃないなら早めの挑戦、早めの失敗が逆に成功への近道かもしれません😊

結局やってみないとわからない、案外やってみたら成功しちゃう事もある。ダメならまたやればいい。

それが僕のサハラのまとめでした。

僕でも色々出来るんですからみんなも色々出来るかも!ただの自己満足のサハラ砂漠マラソンチャレンジですけどこれが誰かの何かの変わるきっかけになれれば幸いです。

パートナーは何か変わるきっかけになったので僕より意義深いチャレンジになったみたいです。

そして成功するとかチャレンジするのとかも、僕は実は別に成功しなくてもいいと思ってるので、やりたい事がない人も焦る必要はありません!やるも自由。やらないも自由で、頑張らない、成功を目指さないも立派な戦略で有りだと思います。僕もだいぶそっち派です。成功したくてやってる訳じゃなくて楽しそうだからやってるだけですのでご安心を😊

(公式の写真がアップされてたのでプロの写真をご堪能ください)

なんと砂漠をワラーチで完走したMichiakiさん

何度も聞きました。本当にワラーチで走るんですかと。
(注:ワラーチとは、メキシコ先住民のララムリ族(タラウマラ族)発祥の、古タイヤを足の形に合わせて切り、革紐を通したサンダルのこと。ララムリ族はワラーチを履いて100マイル(160km)もの距離を、しかも起伏が激しい山や丘を走るといわれています。その語源は、江戸時代に渡米した日本人が履いていた「わらじ」だという説もあります。)
いままで国内の大会では何人か見かけましたがサハラでは初めて。はしゃいで注目を集めるためでなくただ淡々とご自分の走りを全うされる姿に感動し貸した。


足元に注目

なんでリタイアするの?Hayamitsuさん

レース2日目、リタイヤして意気消沈テントに帰ると早々とゴールしてリラックスしている彼を見た。63歳にして初日から余裕の走りだった。しかし彼から出た言葉は「明日の朝リタイヤする」あまりに衝撃だった。疲れ切った私を見て冗談を言って慰めているのか。彼の取った行動は正に3日目の朝にリタイア宣言であった。理由は「目標にしていた50位が達成できないから」。私は思った「勿体ない、何と贅沢な」。リタイア後5日ほど行動を共にしたが、こんな生き方があるんだと納得した次第。

第2ステージ終了後にリタイアしました。

第1ステージ36kmは5時間32分でゴールし、約1000人中208位でしたが、第2ステージ31kmではペースがあがらず、6時間53分もかかってしまい、312位まで順位が落ちました。

暑さが尋常ではなく、5年前に参加したときよりも気温が10℃以上高い日がつづき、第3ステージはさらに暑くなると聞いて、もういいわ・・と思いました。

ゆっくり歩いて体力を温存しながら行けば完走できたと思いますが、今回はタイムや順位を大幅に更新したいという気持ちがあり、楽しく走れることを期待していたので、歩いてばかりということでは楽しい気分になれませんでした。

それに、連日夕方から日没くらいの時間帯になると砂嵐がテントを襲い、タープみたいなテントの中は砂だらけになり、クチの中もジャリジャリする状態がつづいていて、そんなことにもめげました。5年前にも砂嵐はありましたが、1回こっきりだったので楽しい思い出になりました。今回は毎日でイヤになりました。

世界一過酷なレースという触れ込みに5年前は違和感を覚えましたが、今回はなるほどと思いました

まとめ

サハラマラソン、なぜお金を払ってまで過酷な砂漠に挑むのか。自分でも分からない。今回参加された方の体験記をまとめてみて、自分の生き方は自分で決める、それが一番贅沢な生き方だと思った次第です。私は「リタイア」いくら慰まられても心にある無念さ。さてこれからどう進むのか。吹き荒れた砂嵐に聞いてみよう(笑)
世界冒険社は世界一周や砂漠マラソンを応援しています。
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